損失を嫌がるバイアスの源
EQ理論(Emotional Intelligence Theory)の提唱者として知られるエール大学のピーター・サロベイ教授は、情動知能をわれわれの健康維持と資産形成にどう生かし得るかを論じています(1)。今回紹介したいのは資産形成のほう。
教授は、投資活動に際して陥りがちな「病理」として、次の3つを挙げています。
(1) 損失回避 ― 損失を受け入れることを拒否する
(2) インダウメント効果(手持ち資産重視効果) ― 自分の物に高い価値を認める
(3) 現状維持バイアス ― 不確定な状況では、そのままにしておくことを望む
これらは重なって発揮されます。
たとえば値の下がった株を売るということは、自分の物である株式を「手放して(2)」、損つまり「負けを認める(1)」ことです。それよりはとりあず「様子を見よう(3)」と思いますよね。
感情は、「手放して(2)」「負けを認める(1)」というところで「そんなのイヤだ!」と動き、「様子を見よう(3)」というところで「そうだそうだ!」と動きます。これらの強いバイアスが、合理的な投資活動からわれわれを遠ざけています。
ここまでは、まあ行動経済学の解説書に書かれている内容ではあります。
ハッとさせられたのは、これらのバイアスの根源についての洞察でした。教授は、一連の病理を紹介したあと、こう述べています。
何よりも大切な教訓があるとすれば、それは、過去というものが、私たちに大きな影響を与えすぎる傾向にあることである
言い換えれば、われわれは「今まで持っていたから」「今までそうだったから」という理由を重視してしまいすぎる、ということでしょう。
過去に引きずられないために「選び直す」
では、そういった偏りにどう立ち向かえばよいのか。教授のアドバイスは次の通りです。
自分に尋ねてほしい。「もしも、私の投資がすべて現金化されて、手元に現金を持って、どこにでもそれを使う自由があるとしたら、今の投資の一覧表はいったいどう見えるだろう。これから、私の資金を投下するのにもっともふさわしい場所はどこなのか」と。
ピーター・ドラッカーのアドバイスに、よく似たものがあります。ドラッカーは、企業は成長戦略の一環として2〜3年ごとに事業を見直していくべきと述べています。具体的にはこう自問しろと言っているのです(2)。
「この製品を生産していなかったとして、あるいはこのサービスを行なっていなかったとして、今われわれが知っていることを知っているとして、それを始めるか」
人間集団もやはり、過去に影響されすぎるでしょう。
ただ選ぶのではなく、ゼロから「選び直す」。前回『やる気を見つけるために、現状を「選び直す」』というノートを書いたときには、自己選択感を取り戻すために「選び直し」ました。「選び直し」は、過去に引きずられがちな自分の心の偏りから離れるためにも有効なようですね。
いったん過去から離れて(投資であればすべてを現金化して)、それからどうするか。教授は『理想的な一覧表から、今の自分の一覧表がどのくらい隔たっているかという度合いに応じて、投資している資金を移転するほうが望ましい』と述べています。投資からより大きな選択へと敷衍するならば、「ありたい自分」を描いてみるのが必要ということですね。
次の文は、EQ理論の提唱者ならではの価値あるアドバイスです。
このときには、あなたはそれを移転ないし資金の移動とだけ考える必要がある。私たちの感情は、私たちが売買でなく資金の再配置といった言葉で考えるときに、投資の目的により協力的になるようだからである。
なるほど。損失を嫌悪し現状を維持したいというバイアスが、作動しづらい言葉を選ぼうということですね。転職でいえば、現在の仕事を「辞め」て新しい仕事を「始め」るのではなく、仕事のポートフォリオの「再配分」をすると考えるわけです。
サロベイ、ドラッカー両教授のアドバイスをまとめ、投資や事業戦略だけでなく、仕事・所有物・人間関係など人生におけるもろもろの選択について使えるように一般化してみたのが、次のリストです。
- 【条件1】 それを過去に経験、あるいは所有していなかったと仮定する
- 【条件2】 しかし現在それについて持っている知識は使えるものとする
- 【問い】 これからそれを始めたい、あるいは所有したいと思うか?
- 【選択1】 Yesであれば、それをせよ
- 【選択2】 Noであれば、望ましい状態になるように資源の再配分をせよ(それを止めて別の何かを始めると考えると、過去に引きずられてしまう)
「それ」をやり(持ち)続けるべきか否かを決めるステップ – *ListFreak
(1) ジョセフ・チャロキー、ジョン・D. メイヤー、ジョセフ・P. フォーガス 『エモーショナル・インテリジェンス―日常生活における情報知能の科学的研究』(ナカニシヤ出版、2005年)
(2) 「自らの強みが大きな成果を生む分野への集中」|3分間ドラッカー 「経営学の巨人」の名言・至言|ダイヤモンド・オンライン