今週「(意志決定を歪める)思い込みとはこうやって形成されるのだな」と実感したことがありました。自分の備忘録としてノートしておきます。
ある小売業の企業から、問題解決の入門講座を受注しました。時間は(たったの)2時間。持ち帰って欲しい「一言」を練らなければなりません。
参加者の多くは小売店の店長さんとのこと。そこで「観察」を持ち帰ってもらおうと思いました。原因をあれこれ推測するまえに、現場でしっかり観察・分析することが問題解決の精度を高めると考えたからです。
そう主催者(社長)に申し上げたところ、観察もさることながら、その後段の原因追求の方をしっかり教えてほしいというリクエストをいただきました。
参加者をよく知っているスポンサーからのご要望です。もちろんそのように設計し直しますと答えました。
あれこれ考え、「観察」を「観る+察する」と解釈したらどうかと思いつきました。「観る(=観察・分析の)」技術と「察する(=原因追求の)」技術、合わせて「観察」と考えるのです。たった二文字を持ち帰れば、そこから深い意味を引き出せるわけですから、パッケージングとしては悪くないはず。
さっそく2時間のコンテンツを作成し、ビジネスパートナーのレビューを受けました。
しかし、パートナーは難色を示しました。具体的にどう直すべきかは分からないが、分かりやすくないというのです。
わたしの方は、この言葉を考え続けてきたせいで、何がどう分かりやすくないのか、もはや分かりません。ゼロベースで考え直したいと思っても、お気に入りの案を頭の片隅に置きながらそれを上回る代案を、どうやって思いつくことができるでしょうか。困ったなと思いながら、いったん会議を終えました。
呪縛が解けたきっかけは、アイディアが育ってきた過程を思い返してみたことでした。ここに書いてきたように、道のりを客観的に文字化してみれば、最初の思いつきにとらわれていたのは明らかです。
そのようにしてようやく、参加者にとってより分かりやすいと思える言葉を思い浮かべることができ、レビューアからもよい反応が得られました。
その場で思いこみから抜け出せなかった自分にあきれはしましたが、内省の時間を持つことでしがみついていた案を手放せた経験は、すこし自信につながりそうです。