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コンセプトノート

335. 「たとえば」テスト

「たとえば」テストは、自分が何かをよく分かっているか・考えているかどうかをテストする簡便な方法です。

「たとえば」テスト1:事例を挙げられるか

A「うちの会社、雰囲気が悪いんだよね」
B「雰囲気が悪いって、たとえばどんなことがあったの?」
A「んー、そう言われるとアレなんだけど。なんか会話が少ないとかかな」
B「ふーん、たとえば雰囲気が良い会社ってどんなところ?」
A「いや、オレもそう何社も経験ないから知らないんだけどさ、でも他はもう少しいいんじゃないかと思うんだけど」

「雰囲気が悪い」を「生産性が低い」「経営者がダメ」などと置き換えても同じような会話が作れます。また2人の対話に仕立てましたが、自問自答を試みればセルフテストになります。

Aさん(あるいは自分)が問題をよく理解していないことは明らかですね。問題意識を「雰囲気が悪い」という抽象的な言葉に押し込めてしまい、それ以上中身を覗こうとはしていません。分析的に考える人は(1)自分が潜在的に持っている「雰囲気の良さ」のイメージを明確にし、(2)「雰囲気の悪さ」を感じさせる具体的な事実を探し、(3)両者のギャップを描き出そうとするでしょう。

こんな事例もあります。

A「リーダーは、やっぱり真摯さが一番大事だよね。ドラッカーもそう言ってた」
B「真摯さって、たとえばどういう行動?」
A「んー、難しいんだけど、ウソつかないとか」
B「正直ってこと?」
A「正直……もあるし、それだけじゃない感じ」

正直・率直・愚直・まじめ・真剣。それらと似て非なる「真摯さ」という姿勢をAさんは大事にしようとしています。しかしそれが具体的にどういう行動なのか、まだイメージができていない状態です。

「たとえば」テスト2:比喩を挙げられるか

たとえ話は、あるアイディアを(1)理解し、(2)本質を抽象化し、(3)別の事例に置き換えることによって作られます。自分が理解できたかどうかを確かめるための、あるいは(2)の部分を相手に伝えるための、優れた方法です。
「それはたとえばどういうことか?」と自問自答することは、理解を深めるためにつねに有益な作業です。

仏教の開祖ブッダが語った言葉は平易で、たとえに満ちている。そう聞いて、『ブッダのことば―スッタニパータ』(岩波文庫)をパラパラと読んでみました。解説によるとこの本はブッダの言葉に最も近い詩句の集成だそうです。

たしかにその通りでした。冒頭の句がすでに比喩です。(ちなみにこの本は註がとても充実していて、下の引用部分だけで4つの註が付いています)

蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起ったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

有名な(といってもわたしが知ったのはつい最近)「犀の角のようにただ独り歩め」という言葉も、この文章の近くにあります。蛇も犀も、ブッダのいたインド北東部ではよく見られた動物のようです。

言わんとしていることが高度に抽象的なので、比喩があってもまだ難解ではあります。それでも、ただ「怒りを制せよ」だけでなく、「それはたとえば蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するようなものだ」と言ってもらえると、イメージがわきます。

ランチタイムに配信するメールニュースに載せるつもりのこのノートに引くのはややためらわれましたが、こんな分かりやすい比喩もありました。

あたかも糞坑が年をへると糞に充満したようなものであろう。不潔な人は、実に清めることがむずかしい。

(ここでの「不潔」は、行いの清らかさかげんを指しています)