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コンセプトノート

324. 純粋理性の限界(感情が働かない患者の話)

もっと理性的に考えて行動したいと思っている人は少なくないでしょう。わたしも常々そう思っている口ですが、完全に理性的であることはできないどころか弊害のほうが大きくなるという事例があります。

純粋に理性的な人

脳科学者のアントニオ・ダマシオは、脳のある箇所(前頭前・副内側部)に傷を負った患者を研究していました。この箇所を失った人間は、感情のスイッチが切られたようになってしまいます(注1)(注2)。ただし、そのほかの機能はまったく損なわれません。

道路が凍り付くほど寒い日、患者は研究所に来る道すがらのことを話しました。前の車を運転していた女性は、後輪が横滑りしたことでパニックを起こし、不適切にもブレーキを踏んでしまい、側溝に突っ込んでしまったそうです。しかし彼は、そのすべてを観察しつつ、動揺することもなく、適切かつ合理的な運転方法でその凍結地帯を通り抜けてきたとのことでした。

ところがその彼は、次の来所日を決めることができません。ダマシオが示した2つの候補日について延々と検討をはじめてしまったそうです。この部分の記述はとても印象的なので、引用しましょう。

ほとんどど三〇分近く、患者はその二日について、都合がいいとか悪いとか、あれこれ理由を並べ立てた。先約があるとか、べつの約束が間近にあるとか、天気がどうなりそうだとか、それこそだれでも考えつきそうなことをすべて並べ立てた。凍結部分を冷静に運転し、女性の車の話を平静に披露した患者は、いま、そのときと同じぐらい平静に、退屈な費用便益分析、果てしない話、実りのないオプションと帰結に関する比較を、われわれに話していた。

ダマシオは、これを「純粋理性の限界の好例」と呼んでいます。

われわれに意志決定をさせるシグナルの源は「感情」

たしかに、約束の日を選ぶにあたっては、さまざまな変数があり得ることでしょう。われわれも、どちらでもいい候補日のどちらを選択するかで悩むことはあります。しかし普通は「時間をかけて考えるのはばからしい」とか「時間をかけてしまって、相手が当惑しているようだ」といったシグナルをどこからか受け取り、検討すべき変数を絞り込み、素早く決めてしまいます。

いま「どこからか」と書きましたが、著者はその源を「感情」としています。感情が発するシグナル(注3)が選択肢を絞り込むことで、その後に続く論理的な思考プロセスを助けている。こういったメカニズムを、著者は「ソマティック・マーカー仮説」と命名しています(かなりはしょった説明なので、正確に理解・引用されたい方は書籍を確認してくださいね。とても面白い本です)。

感情的な意志決定が良い悪いと、一概に論じることはできません。側溝に突っ込んでしまった女性の場合、感情は本来彼女がなすべき行動を妨げてしまいました。かといって理性だけでは生活上の判断をこなしきれなくなってしまうことを、不幸にして感情のスイッチが切られてしまった患者の事例は教えてくれます。

そもそも、脳を傷つけでもしない限り、感情と理性を分離してしまうことはできないようです。われわれが考えるべきは、感情をいたずらに無視することではなく、自分や相手の感情を観察し、うまく活用していくことでしょう。来年は、この「感情を意志決定にうまく活用していく」という部分に焦点を当てて考えていきたいと思っています。

(注1) 執筆当時に読んだのは『生存する脳』でしたが、『デカルトの誤り』として再出版されたのでそちらに差し替えています。
(注2) 感情のスイッチと書きましたが、この部分が傷つくと、著者の用語でいう「二次の情動」が働かなくなります。扁桃核も感情に関係する部位として知られていますが、著書では、ここが担っているのは「一次の情動」として区別しています。
(注3) シグナルというのはわたしが勝手に導入した言葉です。本では「二次の情動から生み出された特別な感情」です。一次の情動/二次の情動/感情といった言葉は、本のほうでは注意深く定義されています。