二分法的思考を避ける方法
ともすると、我々は選択を簡素化し過ぎてしまいます。その最たるものは「イエスかノーか」「白か黒か」という選択肢に絞り込んでしまうことで、「二分法的思考」と呼ばれます。
この思考は、本来は多様な答えがあり得る質問に対して、二つの答えしかあり得ないとする考え方です。
(略)一般的な二分法的思考は、私たちの視野を狭め、推論を限定します。二つの選択肢さえ考慮すればそれでよしとし、その他の多くの潜在的な選択肢、そのいずれかを選んだことで得られたかもしれない肯定的な結果、それらすべてを見逃すことになります。
ニール・ブラウンほか 『クリティカル・シンキング練習帳』 PHP研究所 2004年 (p204)
我々は自ら二分法的思考に陥りがちなだけではなく、しばしば他者からも二分法的思考で攻められることがあります。「イエスかノーか、どっちなんですか?」と問いつめられた経験はどなたにもあるでしょう。イエスかノーかをずばり答えるべき状況ももちろんありますが、そうでない場合もあります。
二分法的思考を避ける方法として、上で引用した『クリティカル・シンキング練習帳』では「結論をある文脈に当てはめ、条件付けをする」ことを勧めています。例えば「人は真実を言うべきか?」という問いに対して、イエスかノーかで答える前に下のように考えてみるということです。
・”いつ”なら的確か?
・”どこで”なら的確か?
・”なぜ”またはどのような目的のためなら的確か?
結果として答えは「〜という条件のもとであれば、真実を言うべきだ」というような形になります。
とりわけ有用なのは「目的に立ち戻る」こと
上記の三つの中では、最後の「どのような目的のためなら的確か?」という問いが、とりわけ強力だと思います。これをさらに言い換えるなら「その問いの目的は何か?」と問い返してみることです。
このような思考については『第三の解は必ずある』というノートに書きました。ある業界誌の編集長が大口顧客から自社の特集記事を掲載するよう求められます。しかも、その記事を掲載しなければ即座に広告を引き上げると脅してきました。編集長は悩みます。特定の会社の特集記事を書くことは雑誌のポリシーに反します。しかしこの顧客を逃せば雑誌は立ちゆかなくなるかもしれません。
ポリシーを曲げて掲載するか、中立を貫いて失注するか?手段としてはこの2種類しかないように思います。しかし編集長は二分法的思考に陥りませんでした。自分は何のために雑誌を発行しているのか?業界にとって、顧客にとって、自社にとって最善なのは何か?それを自らに、そして顧客に、問い続けた編集長は、第三の解に到達します。
こういった事例を読むといつも「こういう発想だったら自分にもできるな」と感じます。しかしそれは現場にいないから言えること。二者択一の選択肢を示され、その場で答えを出せというプレッシャーをかけられた状態でも、目的に立ち戻って考えることができるか。これは全く別の問題です。
この編集長は、雑誌の存在意義について事前によく考えていました。何を譲れるか、何を譲るべきでないかについて、自分の価値観に照らして一貫した思考態度で考え抜いていました。そういった目的意識の明確さが、「第三の解」に至るヒントではないかと思います。