『正念場と修羅場は避けようがないが、土壇場だけは避けたい』
会社がよくなり、社員の生活もよくなり、みんなが自分の人生を描けるような会社にしていきたいというのが経営者としての私の思いです。事業ですから、正念場と修羅場は避けようがないが、土壇場だけは避けたい。土壇場というのは本来、首切りの処刑場という意味です。社員に土壇場だけは味わわせたくない。そういう会社にしたいと思っています。
(株式会社 芝技研 福島洋一社長、『BestPartner』2005年4月号、太字は引用者)
インタビュー記事を読んでいて、こんな発言に出会いました。
お写真を拝見する限り、ニコニコと温厚な印象の社長です。
大変な苦労をされて会社を育ててこられた、その歴史が語られた後の、
最後の言葉でした。
特に「正念場と修羅場は避けようがない」という覚悟に、凄みがあります。
正念場とは、その人の性根(しょうね)が問われるような大事な局面。
修羅場とは、激しい勝負の場。
倒産や借金のご経験を経られてなお、
「正念場と修羅場は避けようがない」とおっしゃることができる。
なんと肝の据わった方なのか。
さらに「なるほど」と感じたのが、「土壇場は避けたい」というくだり。
土壇場とは、せっぱつまった・進退きわまった場面。
語源を調べてみると、社長のおっしゃるとおり、処刑場。
いままで修羅場と土壇場との違いなどは気にしていませんでした。
そこで記事からの学びを憶えやすい形にまとめておきます。
正念場は、性根を据えて迎えるもの。
修羅場は、覚悟を決めてくぐるもの。
土壇場は、注意を払って避けるもの。
この心得は、時間管理の原則につながる
『7つの習慣』で紹介されている
「時間管理のマトリックス」という考え方に従えば、
「緊急」な活動への対応に追い込まれないためのポイントは、
「重要だが緊急でない活動」(第二領域)にフォーカスすることでした。
正念場、修羅場、土壇場はどれも、その場に臨んでしまえば
「重要かつ緊急な活動」(第一領域)です。
しかし「重要」の意味は違います。
正念場と修羅場は、事業の成長がかかる機会であるがゆえに「重要」です。
土壇場は、事業の死につながる問題であるがゆえに「重要」です。
同じ「重要かつ緊急な活動」で忙しいなら、
前者の意味での「重要」な活動を増やしたいもの。
そのためにできる第二領域の活動とは何か。それは
「自ら正念場と修羅場に備えること」です。
自らそう覚悟を定めることが、土壇場に追い込まれる
リスクをも軽減させるということです。
このメカニズムは、『7つの習慣』では下記のように書かれています。
ピーター・ドラッカーの言葉でまとめれば、「大きな成果を出す人は、問題に集中しているのではなく、機会に集中している」ということである。彼らは機会に時間という餌を与え、問題を餓死させようとするのだ。つまり、彼らは予防的に物事を考えるのである。
自分の正念場・修羅場はどこにあるのか
事業においては、正念場・修羅場は比較的分かりやすい。しかし個人の人生においては、自分の正念場(性根を据えて掛かるとき)や修羅場(ここが勝負と定める状況)がいつなのか、自分で決めなければならない。これは難しいことです。
おそらく最初から決め打ちをする必要はなくて、以前に「TESSの法則」としてご紹介したようなやり方で、最初は小さく試してみるべきでしょうね。しかし味見ばかりをしてはいられない。大きな成長を目指すならば、いつかどこかでコミットする必要が出てきます。勇気が必要とされるのはそのあたりだと思います。