先日のコンセプトノート「未来をつくる:バックキャスティング」の補足です。
■企業のビジョン作りはbackcastがあたりまえ
未来のある一点から現在に向かって線を引いてくるbackcastという考え方は、そのような名前では呼ばれていませんが、企業活動においては「あたりまえ」ともいえます。
企業というものはそれぞれの理念を追求するための活動ですから、「必ず」到達したい目的と、それに近づくためのマイルストーンとしての目標が存在します。したがって理屈の上では必ずbackcastが可能です(実際には、天気予報的なforecastと、意志を持って目的に到達するためのbackcastとを組み合わせて舵を切っていくことになります)。
■環境問題でbackcastが注目された理由
ところが自然は、ただそこに存在しているだけです。
企業については、その存在目的は構成員によって確認・合意されています。
自然については、必ずしもそうではありません。
だから、自然の構成員たる個人や企業が個別最適を追求して、全体の不利益になるようなことをしてしまっても歯止めが掛かりにくい。
backcastが環境問題で注目されたのは、従来曖昧でもよかった「自然環境の中にある社会」のイメージを明確に描いたからでしょう。
■個人におけるbackcast
目的もなしに存在してしまっているという点においては、「個人」というものは企業よりもむしろ自然に近い。企業には発起人がいて創業の理念がありますが、われわれは、ただ生まれてきちゃっただけです(笑)。そこで人生の目的なるものを後付けで考えなければならなくなりました。
企業においては目標ありきの行動設計が当たり前のように行われているのに、個人においては必ずしもそうではない根本の理由は、この「存在意義」、言い換えれば「目的」の有無にありそうです(また稿を改めて書きたいと思いますが、個人の生き方を企業経営になぞらえるやり方の限界もここにあると考えています)。
いま自分というものを、(月並みで恐縮ですが)大海に浮かぶ小舟に例えてみましょう。悪天候を避けるためだけに懸命に天気を読んでも、小舟はどこへも行きません。目的のない航行には、追い風も向かい風もないのです。当たり前ですね。どこへ行ってもいいんですから。自分が目的地に顔を向けて初めて、風を背中に感じるか、胸に感じるかの違いに意味が出てきます。
四六時中羅針盤をにらんでいる必要はないと思いますが、年の初めはそんなことを考えるのにいい区切りかもしれません。
※波に揺られて過ごす生き方もいいかもしれません。わたしはきっと漂流の単調さには耐えられないのでこのように考えてしまいますが…。ただし、(環境問題のように)そのまま放っておくと致命的にマズイ場合には、「自分ナビ」作成プログラムによるbackcastをご検討ください(笑)。もちろん、積極的に航海を楽しみたい方にも。
※今回のコンセプトノートは、masaさんからのメールに触発されて書きました。masaさんは企業向けに「未来」戦略の立案支援をしている立場から有益なコメントをくださいました。この場を借りて御礼申し上げます。