先日、編集工学研究所の大川雅生さんにお話をうかがっていたときのこと。(大川さんは主に編集学校という学校の運営を担当されています)
細かい文脈は忘れてしまいましたが、「学校では中身しか教えないからね」ということばにハッとさせられました。
私の大好きなチェスタトンの小説の中に「逆説とは、人目を引くために逆立ちしている真理である」という文句がありますが、ちょっと逆説的でいい表現だな、と思いました。
「中身しか教えない」なんて聞くと反射的に「中身以上に大事なものがあるのか?ミのある教育で結構じゃないか」と思いませんか?でもこの場合、大事なのは箱というか外枠のほうなのです。
これはデータを詰め込む教育に対する警句です。ファクトやデータを記憶するのではなくそのさばきかた、大川さんの事業に即していえば「編集」のメソドロジーを学ぶ機会が学校教育に欠落しているのではないか、そういうメッセージだと理解しました。
「自分ナビ」作成プログラムが提供しているのは意志決定のフレームワーク、つまり考え方の枠組みであって中身ではありません。中身はあなたの中に、そして山ほどある外の情報源に、埋まっています。
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