「好ましくなかった」
ある対話的なセッションのあと、アンケートに「あの話は好ましくなかった」という言葉を見つけました。
「だって事実じゃないか」という正当化、「その場で言ってくれれば挽回できたのに」という逆恨みめいた怒り、実は話しながら感じていた「言わなくてもよかったかな」という微かな悔悟。そういった情動がやってきて、過ぎていくのを待って、考えてみます。たしかに失言だったと認めざるを得ませんでした。受け手への配慮が足りなかった。
その反省が、抜けないトゲのように心にひっかかっていたせいでしょう、鷲田 清一の『人生はいつもちぐはぐ』のこんなエピソードが目に飛び込んできました。
東日本大震災の話にもどれば、被災の状況が少しずつよりあきらかになってきたころ、報道でもさかんに「ガレキ」という言葉が使われた。崩され、流されて、どこにいったかわからぬ物、それらは他人にとっては些細なものかもしれないが、その一つ一つがまぎれもなくだれかの思いがたっぷりと染みこんだものであるはず、まさにかけがえのないものであるはずで、それを「ガレキ」の一言で片づけられてはたまらないだろう。そのことにまで思いがいたらない、そんな、当事者にたいする無神経が、「ガレキ」という表現のなかに現われでていた。
「ガレキ」の代わりに、たとえば「思い出のかけら」と呼ぶべきだったのか。そうは思いません。しかし、今ガレキになっている物の来し方を思えば、その前後に配する言葉が変わってくるでしょう。対面であれば口調や表情も変わってくるでしょう。
苦しみは代わってもらえない
鷲田はこうも書いています。
シンパシーの原意は「苦しみ(パトス)をともにする」ということである。苦しみというものはその人が感じ、耐えるしかないもので、他のだれにも代わってもらえないものであるからこそ、想像力を強く喚起しないとそれに届かないものだ。
もちろん、人が言葉をどう受け取るかなどしょせんはわかりません。ただ、冒頭の件については、そのような言い訳の余地もありません。実は、そのコメントをくださったのは、わたしが話しかけていたAさん当人ではなく、横で聞いていたBさんだったのです。
BさんはAさんの心情を、わたしよりも深く想像していたのでしょう。Bさんがわたしより一回りは若そうだったこと、セッション自体には高い評価をくれつつ率直にコメントを添えてくれたことなどを思い出すと、反省は深くなるばかりです。
共感的理解の源は観察・想像・経験
唯一の救いは、その日のセッションが初めて実施する内容だったことです。想像力に乏しいわたしも、経験を重ねることで、たとえば「ガレキ」という言葉はこのように受け止められる可能性もあるな、と学んでいけます。
実際、同じセッションを複数回手がけていくと、心の読み違えに起因する失敗は減っていきます。しかし、ゼロに減衰していくかというとそうでもありません。ここではこう考える・感じる人が多いという思い込みが、気づかないうちに傲慢さとなってあらわれ、失敗を招くのです。
想像力の欠如も、経験からくる思い込みも、共感的な理解を妨げる。両者に共通する点を考えてみると、相手の実像を見ず、自分のなかで作り上げた虚像に向かって話をしているといえそうです。
もしそうならば、相手の気持ちを想像したり自分の経験を相手に投影したりすると同時に、いやその前に、相手を虚心に観察してただ理解に努める行為がなければなりません。
究極のところではわかり得ないとわかっている他人の心情を、それでもわかろうと努め続ける。その姿勢が、適切な言葉を選んだり、適切さに欠ける言葉でも真意を汲んでもらえたりする助けになる。そう信じて、観察・想像・経験をキーワードに次の現場に臨んでみます。