物語を語る動物としてのヒト
マイケル・コーバリス『意識と無意識のあいだ 「ぼんやり」したとき脳で起きていること』のテーマは、マインド・ワンダリング (Wikipedia)。ぼんやりした、心ここにあらずな、心がさまよっている、そんな状態についての研究を幅広く紹介してくれています。
そのなかに「物語を語る」という章があります。
『私たちは物語によって、他者を自分の心のさまよいに連れ出す。文学者のジョン・ナイルズは、私たちの種名を「ホモ・ナランス(物語を語る人)」に改めるべきだと主張した。』
以前に収集した「ホモ・XXXX」のリストに、ホモ・ナランスを加えねばなりません。それはさておき、物語を語るのはヒト固有の営みだというわけです。人間以外の動物もごっこ遊びをしたりしますので、まずはそういった遊びと物語の違いを定義する必要があります。著者は、その違いを三つ挙げています。本文をまとめつつ簡単に紹介しましょう。
一つめは、時空間や主人公の移動。「昔々・あるところに・誰々が」という言葉が端的に示すように、物語は舞台を「今・ここ・自分」から「過去や未来・他の場所・他の人の生活」へと動かします。
二つめは、ナラティブ(語り)。複雑なできごとが、多くの場合時系列に沿って展開されます。
三つめは、共有。物語はそれを聞いた人に共有されます。個人の経験は、物語を通して社会や文化全体の経験へと昇華します。
人間ほど複雑ではないとはいえ、人間以外の動物も一つめと二つめの能力を持っているようです。すると三つめがヒトをホモ・ナランスたらしめている点といえそうです。実際、著者は『人間に固有なのは心の旅を他の人と共有する能力だ』と書いています。
物語は共感性を育む
「心の旅を他の人と共有する能力」とはすなわち、共感する能力。物語に浸ることは、共感能力を高めるようです。
ある研究で、私たちが読むフィクションとノンフィクションの量を調査したところ、共感がフィクションの読書量と正の相関をもつ一方で、ノンフィクションの読書量と負の相関をもつことがわかった。最近発表されたある論文は、「小説を読むと心の理論が強化される」と題されていた。社会的世界で生きていくには、テクノオタクより本の虫のほうがいいようだ。
共感という特殊な能力は、すくなくとも当面は、機械に代替されづらい能力のように思えます。たとえば、表情をカメラで読み取ってその人の感情を推測すること自体は、機械学習でそのうち可能になるでしょう。会話をしていると「相手はイライラしています」という情報がメガネの内側のディスプレイにこっそり現れたりするわけです。
ただ、情報だけでは自分の情動を沸き立たせることはできません。共感能力は、自分が相手の立場なら怒るだろうなと考えたり、相手の表情や言動を模倣したりして、自ら情動を作り出し、相手の感情を自分のうちに再現する能力です。
もし機械に代替されづらい能力を高めたいと考えるなら、物語 ――小説はもちろん、おそらく漫画でも―― を読むのは、優れた先行投資かもしれません。
物語は創造性を育む
もうひとつ、本章で言及されていた物語の効用が、創造です。すでに多くの引用をしてしまいましたが、次の美しい文章もぜひ共有したく思います。
物語は語りと遊びを組み合わせ、現実と想像の世界の両方で輝かしい殿堂の建設を可能にした。心のさまよいは私たちを月や火星へ連れていってくれたが、それは実際に宇宙船や探査機がこれらの天体に降り立つはるか以前のことだった。