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コンセプトノート

624. ほめるの反対は……

称賛によって伸びる人、批判によって伸びる人

職場での「ほめる」と「叱る」の使い分けについて考える機会がありました。「ほめる」と「叱る」は、ともに相手のモチベーションを高め得るし、そのブレンドは相手の性格や状況によって変わります。以前に書いた「発展欲と安心欲」というノートから、今回の内容に関係する部分を引用します。

人の傾向は「促進フォーカス」と「予防フォーカス」に大別されるという研究があります。促進フォーカスは『達成、報酬、成功などの機会に目が留まり』がちで、「称賛」によってモチベーションが高まります。予防フォーカスは『回避すべき危険や、果たすべき責任に目がいき』がちで、「批判」によってモチベーションが高まります。もちろん、他の心理学的分類と同じくこれはスペクトラムであり、誰しも両方のフォーカスを持ち、また使い分けています。ただし誰しもどちらかのフォーカスに偏りがちな癖を持っているということです。

ほめるの反対は矯める

「ほめる」の対義語は、辞書的には「そしる」「けなす」ですが、職場では「叱る」です。「そしる」「けなす」がただ非難するだけなのに対し、「叱る」には「叱咤・叱責によって相手の成長に資する」という意味合いが込められています。後半の思いが伝わらないと、相手が「怒り」だけを受け取って「萎縮」したり、逆に叱った側への「悪意」や「嫌悪」の感情を持ってしまいかねません。「叱る」のは難しいといわれるゆえんです。

個人的には、「叱る」よりは「矯める」ないし「正す」のほうが職場における「ほめる」の対義語としてはしっくりきます。スポーツ選手のフォームをコーチが「矯正する」イメージです(わたしは弓道をしていたので弓を矯めるというイメージを持っています)。

「矯める」には怒りの感情はありません。理想と現状のギャップを指摘し、そのギャップを埋めるためのアドバイスをすることが主な行動です。もちろん矯正の過程ではいろいろな感情が渦巻きます。指摘が、建設的な怒りの感情のこもった叱咤・叱責になることもあるでしょう。しかしその目的を見失ってはなりません。

誰がほめるのか、誰が矯めるのか

とはいえ、ほめれば/矯めれば自動的に伸びるというものでもありません。ほめられて「促進フォーカス」が満たされたり、矯められて「予防フォーカス」が満たされたりして、はじめて本人のモチベーションにつながります。それらを判断するのは本人でしかありません。ほめるのも矯めるのも、本人がそのような気持ちになることを期待しての手段にすぎません。

発展欲と安心欲」では、促進フォーカス/予防フォーカスは、それぞれ発展欲/安心欲という根源的な欲求から来ているだろうという仮説を述べました。これらは独立したものではありません。

自分で自分をほめることで、発展欲に応え、自分を矯めていく勇気を得る。
自分で自分を矯めることで、安心欲に応え、自分をほめていく根拠を得る。

そういった、相手の自己成長のサイクルを促すという目的から考え下ろしていけば、いつどんな声をかけていけばよいかのヒントがつかめるように思います。