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コンセプトノート

616. ショーン数(頭に入り込む)

ショーン数

『決断の法則―人はどのようにして意思決定するのか?』という名著をものしたゲーリー・クラインの著作が訳出されたのを知り、さっそく目を通しました。氏は『決断の法則』でエキスパートの直感的な意思決定を分析してRPDモデル(Recognition-Primed Decision、認知的意思決定モデル)を提案しました。これは後にNDM理論(Naturalistic Decision-Making、現場主義的意思決定)として発展します。

新著『「洞察力」があらゆる問題を解決する』(“Seeing What Others Don’t”) のテーマも、その延長線上にあります。これまで同様、研究室でなく現場の意思決定事例を分析して「見えない問題を見抜く」力の定義や活用方法を考察しています。

書籍の後半に印象的なエピソードがありました。著者は、第3学年(8歳)の子供たちに算数を教えていたデボラ・ボールという教師の書いた記事を引用しています。(1) 残念ながら和訳がやや読みづらいので、原著から翻訳して引用します。省略や意訳があることをご承知おきください。

 ボール教諭は、奇数と偶数の区別を生徒たちに教えていた。ショーンという少年が、6は奇数にも偶数にもなり得ると言って理由を述べた。「2が3つで6になる。つまり6は奇数(3)と偶数(2)からなっている。したがって奇数でも偶数でもある」

教師としては悩ましい状況です。彼の言っている理由がよくわからないし、それがわかってもどう教えればよいかが、わからない。

 次に起きたことに、私は衝撃を受けた。ボール教諭は、間違いを正すことも、彼を無視して授業を進めることもしなかった。代わりに、彼の意見を全員で理解してみようと決めたのである。教諭はショーンに、彼の混乱に満ちた理由づけを説明させ、他の生徒にコメントを求めた。

実は、この授業の様子は動画に収められており、座席表・発言記録から教諭のノートにいたるまで整理・公開されています (2) (3)。デボラ・ボールはふつうの小学校教諭ではなくミシガン大学の研究者。10分ほどの短い動画で、英語字幕が付いています。ご興味のある方はご覧ください。

ショーンの説明に対して3人ほどの生徒が、6が奇数ではない理由を説明します。教諭はしんぼう強く説明させていき、オファラという生徒が的確な説明をしたところですかさず介入し、再度説明させます。さらに他の生徒に、新しい数字を使ってオファラの定義を試すように求めます。

動画には含まれていませんが、本によるとオファラの定義でショーンはとうとう納得したそうです。さらに議論は進み、ショーンが奇数になり得ると考えていたタイプ(2×奇数)の偶数は「ショーン数」と命名されたとのこと。

頭に入り込む

ここで教諭に求められていたのは、ショーンが洞察を得るためにどう支援するかという洞察。クライン氏は教諭の行動を次のように解説しています。

 ポイントは、教諭がショーンを正さなかったことだ。その代わり教諭・生徒・そして彼を含めた全員で、彼の論理の穴を確かめた。おかげで授業が終わるときには、ショーンは思考を自ら正すことができた。
 ボール教諭は正解にとらわれたわけでも、ショーンの間違いに困惑したわけでもなかった。彼女は、ショーンの頭の中に入り込みたかったのだ。(She wanted to get inside Sean’s head.)

頭の中に入り込む。これは認知的な色合いが濃いですが、「共感」です。ショーン自らが考え直すのを支援するならば、思考プロセスを追うだけでは足りません。披露した自説に反対されている状況を彼がどう感じているか、彼はどう振る舞いたいのか・どういう人間として見られたいのかといった、彼の知情意をできるだけ理解することが必要なはずです。

成人にとって8歳児の頭の中に入り込むのは容易ではありません。だからこそボール氏は、算数を教えるために必要なのは算数の知識だけではなく、教えるためのスキルやツール、さらには生徒の心のクセを理解するスキルなどを含めた「教えるための数学知識」(MKT, Mathematical Knowledge for Teaching)だと説いています。算数そのものはやさしいとしても、その教育者は高度な専門職だというのです。

ボール氏はこう語っています。「教育の成否は、教えられる側が何を考えるかによって決まります。教育者が何を考えるかではないのです」(“Teaching depends on what other people think, not what you think.”)


(1) Green, Elizabeth. “Building a Better Teacher.” New York Times Magazine (2010): 1-9.

(2) Mathematics Teaching and Learning to Teach, University of Michigan. (2010).
SeanNumbers-Ofala

(3) 下記の文献に、授業のスクリプトの和訳が載っています。
蟹江幸博, and 佐波学. “数学と教育の協同.” 数理解析研究所講究録 1657 (2009): 23-73.