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コンセプトノート

543. 老年的超越

大人の意志決定というテーマで文献の鎖をたどっていくと、知性の成熟という文脈で「老い」についての研究に行き着くことがあります。先日は『老いのこころ』という本で「老年的超越」という言葉を見つけました。

『高齢に至ると思考が内面化し、社会関係から自由になり、自己概念が変容してそれまでの自己を超越するようになる人々がいるとトーンスタム (Tornstam, L.) は指摘しています。彼は、これを老年的超越 (gerotranscendence) と名づけました。 エリクソンの第9段階の危機を乗り越えた人々の得る「徳」も、トーンスタムの提唱するこの老年的超越だといいます。』

本書にもダイジェスト版があったのですが、せっかくですから提唱者の論文にあたることにしました。のっけから「宇宙」という(怪しげな)言葉が出てきてくじけそうになりましたが、とにかく要約・翻訳しおおせましたのでご覧ください:

  • ■宇宙の次元
  • 【時間と子ども時代】時間の定義が変わる(例:現在と過去が同居する、子ども時代の思い出に新しい意味づけができる、過去の偉人と対話できる)。
  • 【祖先とのつながり】世代の流れを意識する。前の世代と後に続く世代の両方に属している感覚が強くなる。
  • 【生と死】個人の生死は世代の鎖の一部にすぎないという視点を獲得し生に感謝しつつ死を喜んで迎えられる心境になる。
  • 【生命の神秘】生命のすべては科学的に説明されるはずという知的制約を超越し、生命の神秘性という次元を受け入れる。
  • 【喜び】盛大な行事からささやかな経験まで、物質という小宇宙の中に大宇宙を経験する喜びが現れる。
  • ■自己
  • 【自己との対決】自己の隠された面~良いものも悪いものも~を見つける。
  • 【自己中心性の減少】自己中心的なものの見方が減る。
  • 【肉体の超越】肉体美や美貌にこだわることなく肉体をいたわれる。
  • 【自己の超越】利己主義から利他主義へと移行する。
  • 【自我の統合】過去の出来事や叶わなかった夢などを含めて、これまでの人生を受け入れる新しいものの見方を獲得する。
  • ■社会的・個人的関係
  • 【関係の重要性と意味の変化】表面的な社交への関心が減り、つきあう人を選ぶ。孤独を好む。
  • 【人生で演じる役割と折り合う】:自己と、演じてきた役割の違いを認識する。役割の必要性を理解しつつ、真の自己に近づくために役割を放棄しようとするときもある。
  • 【無垢の解放】不必要な因習・規範・規則を超越する能力を身につける。抑制してきた自己表現の自由を解き放ち、無垢にふるまう。
  • 【現代的な禁欲】身軽でいることが楽しくなる。生活に必要なもの以外は次の世代に譲る。
  • 【日常的な知恵の超越】:正誤や善悪を決めつけず、その両方を受け入れる寛容さを獲得する。

老年的超越の兆候*ListFreak

一言で言えば「こだわらない」ようになる、ということでしょうか。魅力的な仮説だと思いました。人生の最晩年にこのような形で幸福度が高まる(人がいる)という説には、勇気づけられるものがあります。

「ぼけ」の症状を体裁よく言い換えたのでは?と感じられる箇所もあるかもしれません。しかしトーンスタムは、若くても過去2年間以内に生命の危機を経験した人は、「宇宙の次元」において超越的な傾向が高かったと書いています。つまり老若よりは人生の終わりを意識しているか否かが、上記のような超越が現れる因子ということでしょうか。

まだ超高齢でもなければ生命の危機を経験したこともないので、上記の超越をリアルに感じることはできないものの、いくつかの項目については予兆を感じることができます。たとえば「世代の流れを意識する」という項目。世代というものがあるという知識と、親と子の間に自分がいるという感覚はまるで別のもので、それは子どもを持ったときに初めて実感したことです。

一方で、そこまでは超越しそうにないと感じる項目もあります。たとえば「生命のすべては科学的に説明されるはず」だと信じています。でも人は何にでも理屈を付けたがるので、クエスチョンマークを抱えたまま死ぬよりは、生命の神秘性を受け入れて、わかったふりして死にたくなるものかもしれないな、とも思います。と、また理屈付けをやっている自分に気づき、あらためて老年的超越にはほど遠いと感じるわけです。

この老年的超越説が正しいとして、かつ自分がそういう状態になれたとして、そこから現在の自分を振り返ってみるのは、もしかしたら不要かもしれないこだわり(執着)に気づくエクササイズになるかもしれません。つまり、上記のリストを見ながら、次のように問うてみるということです。

最終的にはこだわらなくなるものに、こだわっていないだろうか。