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コンセプトノート

492. 聴き上手は話させ上手、決め上手は……

【聴き上手は聴き上手にあらず】

『世の中には、「聴き上手」といわれる人がいます。これは聴くのがうまい人のことではありません。』

失礼ながら斜め読みをしていた本に、ふと引っかかりる箇所がありました。「聴き上手」イコール「聴くのが上手い人」ではないとしたら、いったい何なのか。

読んでいたのは森田 幸孝さんという方の『コミュニケーション能力を鍛えよう! 聴く技術と伝える技術』という本。聴き上手とは、

『相手に話をさせるのが得意な人のことを言っているのです。』

とのこと。一瞬、単なるレトリックのように感じました。聴くというのは相手に話してもらうことなのだから、同じではないかと。でも、違いますね。「聞くのではなく聴くのです」というくらい傾聴に興味のある聴き手に全力で傾聴されると、かえって話しづらかったりします。

わたし自身、聴き上手になったつもりでうまくいかなかった、最近の経験を思い出しました。

先日、拙著(『クリエイティブ・チョイス』)を読まれた方から、自分の経験を聴いてほしいというご連絡をいただきました。わざわざ会いに来てくださるからにはきちんと拝聴しようと決めて、お目にかかりました。

自己紹介をして、お互いの経歴や興味など当たりさわりのない話をして、いよいよ本題……に、なかなか入りません。すこしためらわれているようでしたので、急かしてもよくないと思い、こちらもあえて水を向けませんでした。

それでどうなったか。そのまま終わってしまったのです! おそらく本題かな、という話題の周辺を行き来しつつ、時間切れになってしまいました。いろいろ話ができたことを喜んではくださったものの、「緊張してしまい、用意した話題の半分も話せませんでした」という言葉をお聞きして、自分の失敗を痛感しました。いわば「聴いたが、話させなかった」のです。

聴くのは自分ですが、話すのは相手です。そして「よく聴いてもらえた」というジャッジをくだすのも、相手です。もし「(自分が)よい聴き手になろう」でなく「(相手に)話してもらおう」という意識を強く持てていたならば、会話も違った展開になったでしょう。

その意識を持つために、視点を変えて相手の立場に立った言葉づかいで考えるのは、有効そうに思います。たとえば、聴き上手は話させ上手です。逆説的な表現でわたしの目を引きつけた著者は、書き上手というより読ませ上手です。同様に、伝え上手は分からせ上手、教え上手は学ばせ上手です。

※リズムがよいので「~させ上手」で書きましたが、「~させる」という使役動詞ではまだ「自分が相手に~させる」という自分視点が残ります。たとえば「話させる」といっても相手に何かを言わせるといった操作主義的な視点では、相手の立場で考えたとは言えそうにありません。

【決め上手は何上手?】

せっかくですから、当サイトの興味である、個人の決定や選択についても、同じように視点を変える余地を考えてみます。

「決め上手は決めるのが上手い人ではありません。~な人なのです」と言える、気の利いた表現があるでしょうか。

これはなかなか難問でした。「決める」は、聴く・書く・伝える・教えるといった相手を想定した行動とは種類が違います。対象にもよりますが、決めるのも自分、その結果を受けとめるのも自分です。

決めたことについてのよしあしは何で測られるだろうかと考えたとき、「満足上手」という言葉が浮かんできました。

起業でも転職でもよいのですが、個人的な意思決定を例に考えてみます。ふつう「決め上手」といって思い浮かぶのは、よい結果が得られそうな選択肢を早く見つけ出せる人でしょう。決定に至るまでのプロセスにおいて最善を尽くすべきことはいうまでもありません。

しかし最善を尽くしてもなお結果が保証されないのが意思決定というもの。特に個人的な意思決定においては、よしあしを判断するのは自分であり、その判断基準も主観的でよいわけです。ならば結果を上手に受け入れること、つまり満足上手であることも、決め上手の一つの側面であるといえるのではないでしょうか。

※決め上手は○○上手といえるか?という問いを考えていたときに、『なぜ選ぶたびに後悔するのか』を思い出させてくれた人があったことも、思考のインプットになりました。この本にはサティスファイサー(少ない選択肢で満足できる人)とマキシマイザー(つねにより多くの選択肢を求めたがる人)という分類が出てきます。なおこの本は新装刊(右図)が出ています。