ミニレビュー
いわゆる「脳科学者」の本はとても面白いのですが、微妙に個人的な見解が忍び込んでいたりして、どこまでが「科学」なのかよく分からなくなってくることがあります。その点、著者の記述は学者らしい誠実さ(著者の専攻は哲学・倫理学)があって、安心して読めます。興味を持って読んだトピックをいくつかご紹介します。
●脳は可塑性に富んでいる
『「脳の十年」のあいだに分かったもっとも重要なことは、脳は、以前に考えられていたよりもはるかに変化しやすく、可塑性に富んだ臓器だということである』。可塑性とは粘土のように、変形させたら変形しっぱなしということです。
ということは、自分が望む行動習慣や思考習慣を身につけたら、それはそのまま身につく……かというと、そうではないですね。そういった習慣を身につけたあと外界との接触を遮断するならば可塑性がプラスに働きますが、現実は逆です。我々は外界から新しい刺激を常に受けています。ということは、身につけた習慣もまた新しい習慣に書き換わる可能性がある。つまり脳には何かを「インストール」することはできないことを示唆しているのではないでしょうか。
これは、新しい能力を獲得することが常に可能だという意味では良いニュースですが、望ましい行動習慣や思考習慣は意図的に保たないといかようにも書き換わってしまうという意味では、悪いニュースになります。
●自由意志は否定されていない
第五章「脳研究は自由意志を否定するか」では、『私たちが意識的に何かをしようと意志する際には、つねにその五五〇ミリ秒前に脳の運動領域が活動を開始している』という有名な実験が考察されています。人間が「これをしよう」と思う0.5秒も前に脳が活動を開始しているのであれば、我々の自由意志とは幻想に過ぎないのではないかという議論が起こりました(いまも起こっています)。著者は、実験が前提としていたように「よし、やろう」という明らかな決意がなくても人間は意図的な行動を取っており、この実験をもって人間に自由意志がないと考えるのは誤りであると主張しています。