先日、品川区旗の台のパン屋「スピカ・麦の穂」の降矢恭子さんという方の話を聞く機会がありました。このお店は利息をパンで支払うユニークな私募債を発行したことが話題になり、あるセミナーでパネルディスカッションに参加されたのを拝聴したのです。
資金調達の話も大変興味深いのですが、私が感銘を受けたのは手段としての私募債(スピカ債という可愛い名前で、利回りは5%相当のパンだったとか)のことよりもむしろ、降矢さんが「本当に好きなことをやっている」姿勢でした。
一口10万円のスピカ債を最高五口に制限したこと、その後支店を出すチャンスが何回かあったが見送ったこと、そういった話を聞いているうちに、降矢さんの中にある一貫した判断の基準を感じました。それは「自分が楽しんでコントロールできる範囲から外れない」ことです。銀行に断られて私募債を発行するくらいですからほんとうにお金が入用だったに違いありません。でもそんなときでも「その方の顔色を窺わないといけなくなってしまうから」大口の投資は敢えて断った、その「捨てる勇気」があればこそ好きなことに集中する自由を維持できるのでしょう。お金があっても無くてもそういう生き方をするんだという「ありたい自分」がはっきり見えている方でした。
まず「何をしたい」「どうありたい」を持っている方は強いと思います。自然酵母と国産小麦のパンを作って人に喜んで欲しいという強い思いが、たまたま私募債という形で資金調達の問題を乗り越えさせました。このようなユニークなパンの製造小売事業を維持していくには他にも山ほど問題があったに違いないと思いますが、「何をしたい」「どうありたい」がはっきりしていると「どうやってするか」「どうやってそこに至るか」という技術的な問題に対して真っ直ぐな、したがって時には独創的な、回答が見つかるのではないかと思うのです。
一方で「どうやってするか」を先に考えてしまう方は、こういった事例をたくさん勉強されてベンチャーの資金調達手法に通暁するでしょう。ただ勉強すればするほど知識が壁になるというか、既存の知見で対処できないことに挑戦する勇気を維持するのが難しくなってくるかもしれません。
スーツとネクタイで日本を支えていることになっている我々知識労働者はどうでしょう。私は最近多くの方に会う機会がありましたが、降矢さんほど「楽しんで」困難に挑戦している方はまれといわざるを得ません。
自分で事業を始める前に「お勉強」のつもりでベンチャーキャピタルに入ったが、なかなか腰を上げられないという方にお会いしましたことがあります。どのアイディアもリスクが先に目についてしまうこと、ベンチャーキャピタリスト仲間や世間の目が気になってしまうことなどが邪魔をして、敢えてリスクを取る勇気が湧かないそうです。
また社会人になってから大学院で人材開発を学ばれ、転職のたびに職位も年収も上がっている方にもお会いしました。スキル評価やコンピテンシーモデルの開発・導入などに通じた方でしたが、ふと「今後どうなさるおつもりですか?」と聞いてみると、「うーん、とりあえずはいいキャリアを積んでいこうと思います」というお答えでした。キャリアの専門家といってもよい方ですから、「いいキャリア」を積むこと自体が目的と化しているということはないでしょう。ただこれほどの方でも「何をしたい」「どうありたい」という、自分に課すミッションの様なものを意識しているわけではないようです。