- タイトル:アドボカシー・マーケティング 顧客主導の時代に信頼される企業 (ウォートン経営戦略シリーズ)
- 著者:グレン・アーバン(著)、スカイライトコンサルティング(監修)、山岡 隆志(翻訳)
- 出版社:英治出版
- 出版日:2006-11-14
ミニレビュー
■「図々しい知り合い」から「親友」へ
つまり、現実のCRMは、プッシュ・プル型のマーケティングを、以前より効率良く推進するためだけに使われているのだ。
神経を逆なでするほどの強引なクロスセリングを展開する企業を、顧客は「図々しい知り合い」のように思いかねない。(p40)
笑ってしまいました。たしかにCRMに長けた企業を「図々しい知り合い」のように感じることは、ありますよね。
著者は、おそらく主張を強化するために、
これまで = プッシュ・プル型 = △
これから = アドボカシー型 = ◎
と色分けして論じています。一読した限りでは、そこまで新しいマーケティング戦略を提案しているとは感じられませんでした。たとえば「アドボカシー戦略のルール」を、見出しだけ引用してみます:
1. 顧客を支援せよ
2. 優良製品に重点的に投資せよ
3. 価値を創造せよ
4. 顧客とともに製品を作れ
5. 完全に実行せよ
6. 顧客にとって優良企業であれ
7. 顧客との長期的な信頼関係を測定せよ
(p110)
しかし、著者が繰り返し「視点の転換」を訴えているところに、ピンと来るものがありました。たとえば上記の6について。
「顧客を自社の<優良顧客>にするにはどうすればよいのか」ではなく、「自社が顧客にとっての<優良企業>になるにはどうすればよいか」を自問しよう。(p114)
TVで経営者のインタビューを見ていると、顧客を「囲い込む」「流し込む」「誘導する」といった、操作主義的な言葉が気になることがあると思います。ご本人が慌てて言い換えたりするのを見ると、ますます気になったりします。
視点を変えるといっても、何万という顧客ひとりひとりの御用聞きになれということなのか。仮にそうするべきだというのであれば、どうすればいいのか。そんな問題意識で読み返してみて初めて、著者のメッセージが伝わってくる気がしました。
そこまで徹底して考えると、アドボカシー・「マーケティング」という言葉が妥当なのかという疑問がわきます。「MARKET-ing」という言葉には、顧客をマス(マーケット)と見なし、それを切り分けて(Segmentation)、狙いを定めて(Targeting)…というニュアンスが、良かれ悪しかれ浸透しています。視点の転換を促すのであれば、マーケティングと呼ぶべきでないのでは……と書いたところで原題をチェックしてみると、”Don’t Just Relate – Adovocate!”でした。