ミニレビュー
こういう本が読みたかった、という本でした。コンピュータや機械に仕事を譲り渡し続けている人類にとって、仕事の付加価値は「創造性」とか「もてなし」とか、ソフトで定式化できないところに移ってきています。脳はどのように創造するのか、その力は伸ばすことができるのか。そういったことがどこまで分かっているのかが知りたくて手に取りました。
著者の人生賛歌が基調としてあり、必要に応じて脳科学の研究成果が引用されてくる、という感じです。内容もやさしいわけではなく、文章も平易なわけではありませんが、それでも一気に読み切れる不思議さを持っています。Amazonの書評で見かけた「疾走感」という言葉がぴったり来ます。
モーツァルトのような作品を残したりアインシュタインのような発見をすることだけが創造ではなく、創造は「生きる」という営みと不可分のものである。ひとりひとりが創造性を発揮して、自分の生を肯定し、不確実な未来を切り拓いていこう。ごくごくかいつまんで言うと、そのような内容です。
■やや注意点も
ということで全体的にはとても面白かったのですが、読後に、結局「脳と創造性」について学問的にどこまで分かっているのかと振り返ってみると、よく分からなくなってしまいます。
著者は自らが脳科学者であり、最新の脳科学の知見に触れていることを陰に陽に示します。そういった方が一般向けの本を書いてくれるのはありがたいのですが、本書では学術的な引用文献を示せる情報と、著者の見解が巧みにブレンドされていて、どこからどこまでが個人的な見解なのかが分かりづらいのです。
たとえば、わたしが『人間は、アウトプットしてみないと考えてことにならない。たとえば自分が何を喋りたいのかは、実際に喋ってみないと判らないことが多い』と書いたとします(実際、そう思っています)。読者からすると「それはオマエがそう考えるというだけだろう」ということであって、それ以上の説得力を持ちません。著者も、日常の生活の実感に基づく(つまり学問的でない)仮説や考察を「民間心理学」と呼び、そのリスクを指摘しています。
しかし一方で、著者は上のようなことをこのように書きます。
私たちの脳は、そもそも出力を行う環境なしでは情報のループが完成しないような構造をしている。たとえば自分が何を喋りたいのかは、実際に喋ってみないと判らないことが多い。(太字は引用者による、p135)
ははあ、最新の脳科学の知見では、そのような「構造」が明らかになったのか、と思って読み進めていくと、次のページでは同じことがこんな表現でかかれています。
私たちの脳のアーキテクチャーは、どうやら、外界へいったん出力して、それを感覚として入力することなしでは情報のループが閉じないようにできている。(太字は引用者による、p136)
アレ?「どうやら」ってことは、著者がそう考えている(だけ)ってこと?この文章がなかったら、あやうく「脳科学者によれば『私たちの脳は、そもそも出力を行う環境なしでは情報のループが完成しないような構造をしている』」と引用してしまうところでした。
要するに、同じ根拠を元にした同じ主張であっても、脳科学者の著者には暗黙の根拠(脳科学者がそう書くってことは、そんな学説があるんだろう、みたいな読者の思い込み)が乗っかるわけです。せっかくの良いメッセージなので、自らの影響力の強さを踏まえて、そのあたりを注意深く書き分けて欲しい、と思いました。(そうしていたら「疾走感」という魅力は失われてしまったかもしれませんね)