ミニレビュー
引用:
それはたとえば、チェスの世界チャンピオンにインタビューして、「ところで先生、どういう手が一番いい手だとお考えでしょうか」と尋ねるレポーターの質問が、とんちんかんなのとおなじです。そもそも、まったく特定の、具体的な勝負の局面、具体的な駒の配置をはなれて、特定のいい手、そればかりか一番いい唯一の手というものがありうるでしょうか。
(下線部は原文では傍点、太字は引用者による)
とんちんかんな「それ」とは、一般論として「人生の意味」を問うこと。生きる意味については、誰にでもいつでもあてはまる答えなどない、と言っています。言っているのはナチスの強制収容所で3年間も生き抜いた精神医学者であるフランクル。この人ほど、「生きる意味」について考え抜いた人はいないでしょう。
そのフランクルは、『私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。』とも言っています。
なぜなら、既に問われているから。
自分は人生に何を期待できるか、ではなく、
自分は人生から何を期待されているか、その問いに答えていけ。
これを称して「人生の問いのコペルニクス的転換」と言っています。
『夜と霧』の著者が1946年に行った、三つの連続講演を収めた本。訳者による50ページの解説がついています。