ミニレビュー
著者は京都大学大学院エネルギー研究科の教授(執筆当時。現在は退官されています)。
『「素人の大胆さ」をもって』『工学的(?)不遜さで』幸福について探求されていますが、全体にその探求的な姿勢に好感を持ちました。
そもそも著者が「幸福」について考えるようになったきっかけは、専門の「エネルギー」にあります。現在のエネルギー消費が『資源量と環境問題の両面から地球の持つ許容量を超えつつある』という危機意識に端を発しています。
(略)真の「先進国」とは、エネルギー大量消費、豊かで満足という国ではなく、地球の容量に合わせた社会活動をしながら、国民が幸福である国のことでなければならない。したがって個人の幸福は測り難いものではあるが、基本的な、もっとも大切なところで、「幸福とは何か」を考え尽くしておかないと、我々はこれから何処を目指して進もうとしているのか、目的を見失ってしまうことになろう。
このように根源まで遡って考え抜く姿勢にも感銘を受けますが、哲学・倫理・経済・文学などにまたがって手がかりを求めながら、古今東西の「幸福」の定義を自分なりの言葉で理解し表現し直していく学問的な態度がすがすがしいのです。
たとえば経済学も根本のところで「何をもって幸福とするか」という前提があるわけですね。その観点から経済学者の幸福観を探っている第四章「社会のしくみみ、自然のしくみと幸福」。アダム・スミス、マルクスと来てケインズに至ります。著者はケインズの業績をたった2文でまとめます。
ケインズは(略)結局何を言ったかキーワードを抜き出すならば、それは「利率を下げなさい」ということだ。利率のコントロールだけで富の再配分がうまくいくとは誰しも思えなかったかもしれないが、それが成功したのは驚きだ。
つまりケインズの功績の本質は、「重要なパラメータにのみ着目して、あとは何もしないでおく」というやり方を提示したことにあると整理します。
それが幸福にどう結びついていくかは少々長くなるので本書に譲りますが、なんにせよ、このような形で東西の哲学から自然科学にいたるまで、知ったかぶりをすることなく探求を続けていきます。
そしてやはり学者らしく仮説の構築を試みます。題して「幸福の四階建て論」。第三章に出てきます。簡単に紹介しますと、
一階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。
二階:獲得した「快」を永続させる。
ここまでは何となく理解できますね。さらに三階には、
三階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
というステージがあります。「快」な状態がずーっと続いたとしたら、それは幸福とは言えないのではないか。それよりも幸福を目指してもがいているプロセスそのものにこそ幸福があるということです。マニアックにもマゾヒスティックにも聞こえるかもしれませんが、富を得てもなおリスクに挑む企業家や冒険家が目指す幸福はこのステージの幸福なのでしょう。
さらに四階があります。それは
四階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
という境地。著者は聖書や文学作品を引きながら、『本当の幸福は、むしろ喜びの中ではなくて悲しみの中にある』というステージのあることを説明します。
「二階くらいでいいな」と思いました?
わたしもそう思いましたが、苦難や悲しみの中にあっても幸福になれるということが昔から世界中で言われてきているというのを読むと、なんとなく元気が出ますね。