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コンセプトノート

647. 自立の反対は依存ではない

自立は、依存先を増やすこと

雑誌『WIRED』日本版編集長である若林 恵氏の『分散と自立』という文章(『WIRED VOL.25/特集 The Power of Blockchain ブロックチェーンは世界を変える所収)』に、「小児科医で自身が脳性まひ患者でもある熊谷晋一郎さん」という方の言葉を見つけました。若林氏が引用したと思われる文章から引き直します。

熊谷さんは、東日本大震災のときにエレベーターが止まったために避難ができなかったそうです。健常者は階段やはしごも使えますが、車椅子ではエレベーターに依存するしかない。このエピソードから、自立とは依存できる手段が多い状態だと定義されています。

 一般的に「自立」の反対語は「依存」だと勘違いされていますが、人間は物であったり人であったり、さまざまなものに依存しないと生きていけないんですよ。 (略)だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。
――「自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと」 – TOKYO人権 第56号(平成24年11月27日発行)

辞書によれば、「自立」の反対語は「依存」です。英語だとわかりやすくて、自立は in-dependent、すなわち非依存。非依存というと何にも依存しないことのように思えますが、実際には多くの依存先を持つことである。これはうなずける定義です。

たとえば、無人島に流されても生きていけるような、完全に自給自足できる人は自立性が高いといえるでしょう。でも、なぜ自立性が高いといえるのか。それは多くの食材に依存できるからでしょう。魚は嫌いだから食べないと言っていては生き延びるのが難しくなってしまいます。

自立は、依存先を増やすこと。キャリア関連のセッションなどでときどき話す内容と似ていて共感を持ちました。わたしは数万人規模のグローバル企業から数十人規模のベンチャーを経て二人で創業し、いまは一人でその会社を引き継いでいます。組織が小さくなるにつれ、自己裁量の余地が高まったという点では自立度は高まっていきましたが、同時に他者への依存度も高まったという逆説を感じていました。

正確にいえば依存度は変わっていないのですが、他者に依存しているという事実に気づかされる機会が増えました。独立するまでは誰かが獲得してきた案件を受け取ってこなし、誰かに経理処理をお願いしておけばよかったのに、独立するとそうはいきません。信頼関係で・恩の貸し借りで・あるいは報酬を支払って、他者に依存していかねば会社を回していけないという事実を痛感しました。裏を返すと、仕事を紹介してくれそうな人がいたり仕事の一部をアウトソースしたりと、複数の他者に依存できそうな見込みがついたからこそ独立に踏み切れたとも言えます。

自立の反対は孤立

では、自立の反対語が依存でないとしたら、何か。

依存先がない、つまり孤立という言葉が当てはまりそうです。

自由の反対は……?

自立と似た言葉に、自由があります。自立の辞書的な反対語が依存とすると、自由の反対語は支配や束縛でしょうか。自由も同じ伝で、実は束縛を増やすほうが自由度が高まる……とは言えそうにありません。

ただ、依存先を増やせば自由度も高まるとは言えそうです。先日潮干狩りに行ったのですが、腰が痛くなるほどがんばって掘った貝も、ようやく一食のおかずにしかなりませんでした。食べ物の供給を他者に依存できなければ一日の大半を食べ物の確保に費やさざるを得ず、それだけ自由な時間は減ることになります。

考えてみると、これは食べ物の確保という作業に束縛されているわけです。依存先が少なくなるにつれ、依存は束縛に近づいていく。

人間関係においては、依存は双方向になり得ます(相互依存)が、束縛は一方的です。相互依存を増やして束縛を減らしていくことが、個の自由と自立をうながしていくわけです。