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コンセプトノート

700. 育てた植物に育てられる

意志ありき、ではない人間観

斜め読みするには難しすぎたのですが、図書館に返す期限が迫っていたので、大急ぎで目を通したフランソワ・ジュリアン『道徳を基礎づける 孟子 vs. カント、ルソー、ニーチェ』(講談社、2017年)に、こんな一説がありました。

キリスト教に由来する人間学の中心にあるものは、意志である。(略)しかし、中国の伝統の中には、意志という概念に確実に相当するものは無い。

孟子の分析には、アリストテレスが明らかにする手続きが全く働いていない。つまり、選好による選択もないし、熟慮も、そして決定もないのである。

ちょっとびっくりしましたが、ともかくそうらしいです。

意志なしに、人はどのように善くあることができるのか。著者のていねいな議論をはしょって結論めいた部分だけ抜き書きします。

 意志するという範疇を孟子が用いずにすむのは、根源たる仁が内で広がってから、次いで外に向かうというように、道徳性を、潜勢力と実現という用語で理解しているからだ。つまり、選択と行為といった用語では道徳性を理解していない。中国では、種に始まる植物の発育過程がモデルとされているのだ(略)。

ここが孟子が性善説と言われるゆえんでしょうか。「根源たる仁が内で広がってから、次いで外に向かう」というくだりを読んで、「孟子といえば」のリストを思い出しました。

  • 惻隠(そくいん)の心は、仁の端なり(人をあわれむ心から『仁』が芽生える)。
  • 羞悪(しゅうお)の心は、義の端なり(悪を恥じる心から『義』が芽生える)。
  • 辞譲(じじょう)の心は、礼の端なり(人と譲りあう心から『礼』が芽生える)。
  • 是非(ぜひ)の心は、智の端なり(是非を見分ける心から『智』が芽生える)

四端説(孟子)*ListFreak

こういう、小さな感情を「種」として徳を育てていこうという発想が、特に孟子に色濃く表れている中国の伝統的な道徳のあり方のようです。

植物が育つ条件

たまたま、わたしも植物の比喩を好んで使います。先週は、マネジャー向けの研修で部下の自発性を育てるメタファーとして「意欲は植物のようなもの」という言葉を使いました。種を叩いて芽が出るわけではないし、芽を引っ張って伸びるわけではない。他人の意欲をコントロールしようとするより、意欲が発現する条件を整えようという発想です。

そんなことがあったせいでしょう、斜め読みの本書でもそういった言葉が目にとまりました。著者は随所で孟子を現代語に意訳してくれています。次もその一節です。

草木を引っ張って、無理に発育させることはできないし、根もとの雑草を取らないで、放置しておくこともできない。前者の誤りは、望んだ効果を直接手に入れようとすることにあり、後者の誤りは、条件設定の効果が間接的であることを見落としていることにある(公孫丑上二)。道徳性が向上するためには、草木の周りの雑草を取るように、私たちが道徳に「事〈つか〉える」と同時に、草木を上に引っ張らないのと同様に、プロセスがおのずと進行するための時間を取る必要がある。

四書の一冊にこのように明瞭に書かれているということは、わたしもどこかでその引用の引用……を読んで得心したのでしょう。

植物のメタファーを越えて

しかし、人が人の成長を促すにあたっては、単に植物を育てる以上の関わり合い方ができます。著者は『孟子は、間接的な刺激という理想を遠くまで推し進めたために、その関係を逆転させるに至った(公孫丑上八)』と述べています。

関係の逆転とはどういうことか。

智慧の第一段階は、他者が自分の欠点を指摘した時に、それを「喜ぶ」ことである。
第二段階は、少しでも善なる言葉を聞けば、それを「拝謝」することである。
だが、大聖(略)は、他人と善を一緒に共有して、善を為すためであれば模範的な他人に喜んで「従」った。他人が善を為すのを「取」るのは、他人に善を為させようとするからである。

ここで「取」るとは、取り入れる・真似するという意味合いでしょう。先述のマネジャー対部下の関係でいえば、上司が部下のよい行動を認め、取り入れることで自分の行動を変えていくということです。まさに逆転であり、人が植物を育てるというたとえでは届かない発想です。

上記に続く文章も、少々長いのですが、引用します。

 ここでは、条件設定の論理はその最大の深みに到達している。なぜなら、他人の善に従うことで、それが範例となる状況が作られるため、他人は自然と善行を勧められている気持ちになるからだ。聖人は、他人に直接影響与えようとして、自分をモデルとして立てたり、自分の智慧を占有したりするのではなく、身を引いたままなのだ。しかし、この慎み深さが、本当に効果を上げる条件なのである。

他者が自分を手本として真似てくれることは、内発的動機づけ理論が示す3つの根源的な欲求、すなわち自律性、有能性、関係性のうち、少なくとも後の二者を満たします。

次の機会では、部下のよいところを取り入れてみるエクササイズを設計してみようと思います。唯一の難所は、植物を育てるメタファーがもはや通用しないこと。育てた植物に育てられることで育てる、といっても、何のことかわかりませんからね。