フレーミングからは逃れられない
人が事象を単一の視点から理解するやり方はフレーミング(Wikipedia 英語版)と呼ばれます。たとえば「集団を助けるために2割が生き残る方法と8割が死ぬ方法を提示されると、期待効果は同じなのに前者を選ぶ人が多い」といった調査がよく紹介されます。いつか目にした雑誌では、ビジネス心理学と題した特集の中でフレーミングに触れ、「月極めの商品なら毎月3000円でなく1日に100円と記せ」と勧めていました。
冒頭のクイズによってフレーミングの存在を知らされると、いかにも自分が思慮の浅い人間だと知らされたような気になります。さらにそういった認知のクセを使って何かを買わせようという記事を読んだりすると、フレーミングという言葉にネガティブなニュアンスを感じてしまいます。フレーミングとは無いほうがよいもの、見つけたら正すべきもののように思います。
とはいえ、フレーミングは避けられません。フレーミング効果を使えと訴える上記の記事の著者もまた、セールスに対して「売ったもの勝ち」的なフレームに囚われています。セールスを持続的な関係づくりととらえるセールスパーソンなら、顧客が「フレーミングの罠にかけられた」という不満を自分に抱かないような説明をするでしょう。
フレームをたくさん挙げ、選ぶ
フレーミングには、新しいものの見方を獲得するというポジティブな使い方もあります。作家であり大学教授でもあるマイケル・ポーラン氏のコラムがとても印象的だったので、簡単に紹介していきます。(1)
「牛肉1ポンドは、いくらか?」。だれでも「買う店と部位による」と答えるでしょう。
しかし、問いを「牛肉1ポンド(に)は、いくら(かかっているの)か?」と立て直すと、答えも違ってきます。アメリカでは飼料としてのトウモロコシに助成金が出ているので、酪農家は草でなくトウモロコシを選びます。つまり「いくらか?」という問いに答えるためには、助成金の源である税金を考慮する必要があります。そしてトウモロコシをどこで育てるにせよ、肥料の原料となる原油・石炭・鉱石を安定的に確保するために支払う金銭的・人的・政策的コストもかかっています。
さらに、問いを「牛肉1ポンドは、いくら(につくの)か?」と立ててみることもできます。この問いは、牛肉1ポンドを食べるためのコストだけでなく、食べることによって将来負担するかもしれないコストをも視野に入れています。トウモロコシで育った牛は草で育った牛より脂肪分が多く、それだけ健康リスクも高まります。そのリスクを回避したり、健康を害したときに治療を受けたりするためのコスト、そして健康を害した結果生産性が低下したり働けなくなったりする機会損失も、牛肉1ポンドのコストです。そう考えると個人にとっても国家にとっても、トウモロコシで育てた牛は「高くつく」のかもしれません。
この文章を紹介していたバリー・シュワルツは、フレーミングについてこう述べています。
決断を下す際にやるべきことは、フレームの影響を避けることではなく、正しいフレーム――関連しているすべてを吟味する手助けとなるフレーム――を選択することだ。
選択するためには選択肢が必要です。ポーラン氏のコラムは、牛肉1ポンドを夕食の食材、国家として確保すべき食資源、健康維持のための栄養素など、さまざまに捉え直すことで、選択肢を広げてみせてくれました。(2)
2012年から今年までは「その場力」として「速く考える」スキルに重点を置いて研究してきました。わたしなりには一定の知見と経験を得たと感じていますので、2015年はこれに加えて「広く考える」スキルにも注目してみたいと思います。
(1) Michael Pollan “Power Steer” (NYTimes.com) より。ただし、このコラムそのものでなく、文中で紹介したシュワルツの『知恵』の中での紹介に寄りかかってまとめています。
(2) ポーラン氏がフレーミングの見事な使い手であることは、次のトークからもうかがえます。 “Michael Pollan: A plant’s-eye view“(TED.com)