以前『テーラワーダ仏教「自ら確かめる」ブッダの教え』という本を読んで、次のような抜き書きを作りました。言ってみれば「盲信の十戒」です。
- 口伝だからと信じるなかれ … 口伝された「神の言葉」だからといって、真理を判断する基準にはならない。
- 伝承だからと信じるなかれ … 師匠から弟子へ、親から子へと伝えられてきた教えだからといって、真理を判断する基準にはならない。
- 伝聞だからと信じるなかれ … 「皆が言っている」「よく言われている」からといって、真理を判断する基準にはならない。
- 聖典だからと信じるなかれ … 本に書かれているからといって、真理を判断する基準にはならない。
- 論理的だからと信じるなかれ … 演繹的に導かれたからといって、真理を判断する基準にはならない(言葉に依存している限り、言葉の定義によって結論は変えられる)。
- 推測に合っているからと信じるなかれ … 帰納的に導かれたからといって、真理を判断する基準にはならない(個別のデータから普遍的法則を導く認識作用は不確かである)。
- 言葉が巧みだからと信じるなかれ … 表現方法や話術が巧みだからといって、真理を判断する基準にはならない。
- 結論が自説と同じだからと信じるなかれ … 自分の価値観や思考と同じだからといって、真理を判断する基準にはならない。
- あり得る話だからと信じるなかれ … そうである可能性があるからといって、真理を判断する基準にはならない。
- 聖者だからと信じるなかれ … 尊敬できる人の言葉だからといって、真理を判断する基準にはならない。
真理を「自ら確かめる」ための10か条 – *ListFreak
いま読んでいる『なぜ科学を語ってすれ違うのか――ソーカル事件を超えて』という本には、ロバート・マートンという社会学者が提唱した、科学的方法のルールが載っていました。先のリストは「何を盲信するべきでないか」という観点だったのに対し、こちらは「何を信じるべきか」という観点から作られています。
- 【普遍主義】 証拠は誰にでも公開される。特権的な観測者集団は存在しない。
- 【公有制】 知識は集団的活動によってもたらされ、みんなのものとなる。
- 【利害の超克】 わたしたちはあらかじめ何かを期待したりせずに自然に向かいあう。
- 【系統的懐疑主義】 なんでも疑ってみる。
科学的方法のルール(科学のエートス) – *ListFreak
十戒同様、これらを裏返してみればさらに分かりやすくなりそうですので、考えてみます。
(上の日本語だけではやや抽象的なので、原著とWikipedia(英語版)のRobert K. Mertonの項を参考にしました。)
- 特権的な観測者集団による、非公開の証拠にもとづいた主張は、科学的とは呼べない。
- 特定の個人や集団(人種・性・宗教・国など)内だけで通用する基準で正しいと認められた主張は、科学的とは呼べない。
- 特定の個人や集団だけが利益を得ることを目的にした主張は、科学的とは呼べない。
- 疑いが許されない主張は、科学的とは呼べない。