登山家を襲った最大の試練
『「無知」の技法 Not Knowing』という本に、印象的なエピソードを二つ見つけました。
一つは、女性登山家エドゥルネ・パサバンの物語。世界で14座しかない8000メートル峰の6座を制し、7座めのK2に挑んだときのこと。登頂には成功したものの『凍傷で足の指を2本失い、命までも落としかけ』ました。
だが、足の指を喪失したのが、彼女の人生で最もつらいことではなかった。最大の試練には山の下で遭遇した。
「自宅に戻ったときには32歳。友人はみな結婚して、まったく違う人生を歩んでいました。考え込んでしまいました――私は何をやってるんだろう。登山と、未知の世界への旅を、このまま続けていていいものだろうか。普通の人生、普通の母親になるべきなんじゃないか……。ずいぶん長いこと鬱になり、落ち込んで、4カ月も入院しました。自分の生き方を好きだと思えなくなっていました」(太字は引用者による)
著者は、パサバン氏の苦闘を『地図のない領域に踏み込んだときに私たちの誰もが直面する試練』と表現しています。
決めるのはおまえじゃない
二つめは、アブーディ・シャビという人のエピソード。生活費を稼ぐために大都市に住む決意をしてロンドンで生活していましたが、田舎で平穏な暮らしをしたいという思いが募ってくるのを止められません。悩み抜いたあげく友人に相談したところ、驚くようなアドバイスが返ってきました。
『決めるのはおまえじゃない。人生がどう広がっていくか、自分で決めることはできないんだ』(太字は引用者による)
人生からの問いに答える
パサバン氏は意味の喪失に悩み、シャビ氏は困難な決断に悩みました。別々の章に置かれた、内容的にもまったくちがう悩みです。でも何か通じるものがあるように感じられ、付せんを貼っておきました。
あらためて言語化を試みると、両氏の悩みは「人生の意味や目的(価値観や将来像)は自分が見出し、それに向けて行動し、その結果を引き受けるものだ」といった信念(belief)から生じているという点で共通しているように思います。「決めるのはおまえじゃない」というアドバイスが響くのは、その信念を覆すものだからでしょう。
「決めるのはおまえじゃない」とすると、誰が決めるのか。
思い起こされるのは、ナチスの強制収容所に送られながら生き抜いた心理学者、ヴィクトール・フランクルです。フランクルは、人生の意味を問う必要はないと説きました。その代わり、人生が自分に発している問いに答えていけといいます。
この逆説的な解釈が素晴らしいと思うのは、悩みを外から、かつ大局的に見る視点を与えてくれる点です。人生という第三者を措定することで、「この時代・この場所にいて、この関係性の中で生きる個人」といった、固有の状況に置かれた個人としての自分が自然に意識されます。それが世界と自分をつなげてくれます。
ただ、「人生は自分に何を求めているのか」という問いはいかにも大仰で、なんとなく悩みの深刻度が増してしまいそうです。その点「決めるのはおまえじゃない」は、悩みの中に入り込んでしまったときに、すこし離れて観察できるように促してくれる、いい言葉だと感じられました。
パサバン氏は登山を続け、8000メートル峰14座すべてを制覇した初の女性となりました (Wikipedia)。シャビ氏の模索は続いていますが、まずはロンドン郊外に引っ越しました。本書では、彼らのストーリーがもう少し詳しく描かれています。