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コンセプトノート

247. 決して陳腐化しないスキル

自らに変化を課す、それぞれの新年」というコンセプトノートに、お便りをいただきました。

数年の独立経験を経て、いまはベンチャー企業の副社長です。独立事業者時代を振り返って、「いつ自分のスキルが陳腐化するか」という恐怖が最大の敵だったと語ってくれました。いまの仕事を引き受けたのも、自分に変化を課すためとのこと。

というところについてです。ご本人の許可を得て引用します。

結局今はその方にとってそれは敵ではなくなったということだったのでしょうか?
漠然と今のままでいいのかなと悶々としながら過ごしているのですが、サラリーマンのままでいるとしてもスキルが陳腐化するのかというのが常に不安に思っていて、もし、敵で無くなったとしたら、どのように乗り越えたのか、それとも、そもそも敵ではなかったのかとか気になりました。

今その方がどう感じていらっしゃるかをお聞きしなかったので、以下はわたしの推測です。

わたしも個人事業みたいなものなのでその方に共感できたのですが、個人で業務を受託していると、単に自分のスキルの貯金を吐き出しているに過ぎない気がすることがあります。もちろん現場から学ぶことは常にあるのですが、基本的には知識を移転したり、お客さんが自分でお出来になれた時点で仕事は終わりです。

そうすると、お客さんを変えるか、自分が新しいことを学んで新しい価値を提供するか、2通り(あるいはその組み合わせ)になります。副社長の方は、その両方、新しいことを学ぶ場として今の仕事をお選びになったのだと思います。新しい仕事に挑戦している現在は、陳腐化など考えている暇はなさそうです。

個人的には、スキルを高めていけば陳腐化の恐怖が敵でなくなるステージに達する、というような考えは持たないようにしています。社会の動きが緩やかなときは、若い頃に手仕事を覚えれば一生○○職人として過ごせたわけですが、今はなかなかそうはいきません(そういう世界も依然として残っているとは思いますが)。

とすると、磨くべきは「変化」というスキルということになります。

世の中の求めに応じて、
常に変化していこうという覚悟。
常に変化できるという自信。

しかし、言うは易し行うは難し。そうやって不断に変化していこうと思えるエネルギーの源泉は何だろう。見事な変化(いっそ進化といった方がいいかもしれません)を続ける諸先輩達のことを考えてみると、ある種の一貫した情熱があるような気がします。

変わり続けるためには変わらぬ情熱が必要。
ちょっと逆説的な表現ではありますが、そう感じます。

情熱の向く先は人それぞれですが、それぞれが「ありたい自分」の体現を目指し続けようとすると、社会の要請に敏感であらねばならない。チャールズ・ハンディが「適切な自己中心性」(『もっといい会社、もっといい人生―新しい資本主義社会のかたち』)と呼ぶのは、このようなメカニズムではないでしょうか。