欠乏学入門
経済学者のセンディル・ムッライナタンと心理学者のエルダー・シャフィールによる共著『いつも「時間がない」あなたに:欠乏の行動経済学』を読みました。タイトルこそライフハック本のようですが、サブタイトルが的確に表しているとおり行動経済学に属する内容です。原題は”Scarcity: Why Having Too Little Means So Much”。『希少性:少なすぎることの大きすぎる問題』という感じでしょうか。
「他の用途を持つ希少性ある経済資源と目的について人間の行動を研究する科学が、経済学である」(ウィキペディア太字は引用者による)という定義もあるくらい、希少性という言葉は経済学にとって大きな意味を持ちます(参考:”Scarcity” – Wikipedia)。実のところ、経済的に合理化できないくらい人は希少性に引きつけられてしまいます(参考:”Scarcity (social psychology)” – Wikipedia)。
本書はこの「希少さ」が人にもたらすインパクトを「欠乏(感)」という視点から捉え直したものです。多忙は時間の欠乏、貧困は生活資金の欠乏です。個々に紹介されている研究には見聞きしたことのあるものがけっこうありましたが、それでも「欠乏」という縦糸が通っているので、さながら「欠乏学入門」といった感じで面白く読めました。
小さな欠乏が大きな問題を引き起こす
欠乏を感じると、どんな問題が生じるのか。本書の主張を簡単にまとめてみます。
問題は2つあります。1つめは「トンネリング」。人は足りないと感じているものに心を奪われ、本来考慮すべき他の事柄やトレードオフなどを無視してしまいます。視野狭窄に陥るわけです。著者が例に挙げていたのは、忙しい人のマルチタスク(ながら作業)や不況期における企業の長期投資(マーケティング予算など)の削減。忙しさによる時間の欠乏感や不況による資金の欠乏感がトンネリングを招き、個人や組織をその場しのぎの行動に走らせるとしています。
2つめは「うわの空」。欠乏感の対象に注意が占拠される結果、他のあらゆる行動の処理能力を下げる、誰にもなじみがある現象です。家庭で問題が起きれば仕事に集中できないし、逆もまたしかり。
トンネリングやうわの空により、処理能力が下がります。著者はIQにして10ポイント程度下がるという研究を紹介しています。処理能力が下がれば、成果も下がります。その結果、欠乏していたものが時間であれお金であれ、それはさらに欠乏するでしょう。すると注意はますますそれに奪われ、問題を解決する能力も下がっていきます。まさに「貧すれば鈍す」。このようにして欠乏感は悪循環を生み出すことで大きな問題を引き起こします。
欠乏は「ゆるさ」を欠乏させる
欠乏感がもたらす悪循環を、どう止めればよいか。著者らはスラック(Slack)という概念を定義しています。訳すなら「ゆるさ」「ユルさ」「ゆとり」「余裕」あたりでしょうか。われわれが旅行に行くとき、鞄が大きいときと小さいときでは荷造りに臨む態度そのものが違うことを引き合いに出しつつ、このように説明しています。
私たちが使うスラックという言葉が指すのは、意図的に使わずに残したスペースではなく、豊かな環境で荷造りしているときの副産物である。景気のいいとき、人はきちょうめんに一ドル単位でお金の使い道を明らかにすることはない。(略)この態度は裕福だからこそのものであり、スラックはその結果である。(P102)
旅行鞄が小さすぎる、つまりスペースが欠乏していると感じると、荷造りに注意を取られてしまい、事前にガイドブックに目を通す余裕が削られます。旅先でお土産を買うときにも、鞄に入るかどうかばかりが気になってしまいます。鞄に余裕があれば、スペースの欠乏に心を占拠されることはありません。
では大きな鞄を選べば、つまりスラックを埋め込んでいけば、問題は解決するのか。理屈の上ではそうですが、実行は難しいところがあります。毎日の締め切りに追いまくられている人が暇な人のように考えたり、毎月の支払いに困っている人がお金持ちのように考えたりするのは、現実的ではないでしょう。
著者らは小規模なマイクロファイナンスを通じて、稼いでは(借金や手数料の支払いに)持っていかれる貧困の悪循環を断ち切れるかどうか、実験をしています。結果は半分成功で半分失敗とも呼べるようなものでした。資金的なスラックを得たことで貯金ができるようになり、被験者の経済状態は好転していきました。しかし誰にも襲ってくる「予期せぬ出費」(親族の婚姻など)が貯金をはき出させてしまったのです。
スラックは余裕であり無駄ですから、組織にとっては削るべき対象と見なされがちです。著書では、ある経営者のスラックとして機能していた専任の秘書が業務改善によって余裕を失い、経営者の時間繰りが行き詰まった事例が紹介されています。
処理能力というボトルネックを改善する
本書の終盤では欠乏の問題を解決するための、著者らによる取り組みや参考になる実験の結果などが紹介されています。その読後感は意外にもサプライチェーンの改善について書かれた『ザ・ゴール』を思い出させるものでした。工場の生産性改善に取り組む主人公が、目的と手段の関係を見直していく本です。たとえば「仕掛品を減らすこと」はよい目的であり、それを疑う人はいませんでした。しかしスループット(生産性)を高めるという目的から考えれば、スループットを下げるような「ボトルネック(制約)をなくすこと」こそ重要であり、そのためには「仕掛品を増やすこと」がよい手段になるケースもあることを見いだしました。
本書も「欠乏しているならその資源を増やせ」といった短絡はしません。欠乏がもたらす問題を構造化し、大きな目的から手を打つ箇所を考えます。このアプローチに『ザ・ゴール』との類似を感じたのかもしれません。
本書では、欠乏(感) -> 視野狭窄+注意散漫 -> 処理能力の低下 -> 成果の低下 -> さらなる欠乏(感)という悪循環から抜け出すために、「処理能力」(※)に目をつけています。欠乏は短期的に解消できないとしても、処理能力は当事者の工夫次第で改善が可能です。
(※)処理能力は「認知能力+実行制御力」として定義されています。ここではざっくりと「思考力+集中力」くらいに捉えておけばよいかと思います
たとえば、仕事をいつやるかにこだわる(人の処理能力は時間に依存するので)。自動化する(貯蓄を天引きで行うなど。自動化すれば注意を向けずにすむので)。リマインダーを使う(注意がコントロールできるので)。選択肢を減らす工夫をする(選択は処理能力を消耗するので)。そのような工夫と併せて、余裕ができたときにスラックを貯めておけと指摘しています。
本書では、おもに多忙(時間の欠乏)と貧困(生活資金の欠乏)が考察の対象でした。しかしこの発想を一般化すれば、あらゆる不安(安心の欠乏)や不満(満足の欠乏)についても、同じような悪循環と対象方法が当てはまりそうに思えます。
本書でもっとも印象に残ったのは『欠乏は心を占拠する』という一文です。欠乏を埋めたいという思いは、仏教の三毒(貪瞋癡)でいえば「貪」、貪欲さに属すると思います。そうだとすれば、欠乏感は本能的に湧いて出てくるたぐいのもので、うまい付き合いかた・あしらいかたを考えなければなりません。
時間・予算・もの・情報・尊敬などなど、われわれが欠乏を感じそうな対象はたくさんあります。それらが大なり小なり作用して、日々の「気になること」の多くを作っているのでしょう。たとえば職場のAさんが気になるとき、その理由はAさんの失礼な態度、つまり自分に対する尊敬の欠乏にあるのかもしれません。 そこまでつかめたら、「Aさんの尊敬を獲得する」ために何ができるかだけではなく、「その欠乏感によって自分の処理能力を下げない」ために何ができるかを考えられます。
5分間も目を閉じていれば、「気になること」は山のように湧いて出てきます。そのなかのどれだけが欠乏感から生まれてきたものか、何に対して欠乏感を抱いているのか、調べてみようと思います。