林住期
ウィリアム・ブリッジズ 『トランジション ――人生の転機を活かすために』(パンローリング、2014年)という本を読みました。初版は(おそらく)1980年で、それから約四半世紀後に改訂版が出ています。ロングセラーですね。
本書で著者は『人生を自然に移りゆく四つの時期(略)として捉えるヒンドゥー教の考え方がある。これもまた、われわれが職業生活におけるトランジションを把握するためのレンズとなるだろう。』と述べて「四住期」を紹介しています。本文のあちこちを引用してリストにまとめてみました。
- 【学生期】 人生を生きていくための準備期間。
- 【家住期】 社会や家庭や仕事において自己の能力を発揮し、個人的成長を続ける。任務と責任の時期。
- 【林住期】 内面的な探求・洞察の時期。「森の住人になる時期」とも呼ばれる。
- 【遊行期】 人生と自己について、過去のどの時期よりも理解を深めた状態。林住期に学んだことを明らかにし、他者に還元していく。
四住期(ヒンドゥー教の4つの発達段階) – *ListFreak
著者の見立て通り、ほぼ現代に通用するように感じます。ちなみに学生期は「がくしょうき」と読み、学校に行っている期間ではありません。就職・結婚したから自動的に家住期に移行するというものでもありません。そういったイベントがきっかけになることが多いものの、期はあくまで本人の内面の状態によって移り変わるものだということです。
このなかで「林住期」に心引かれるものがありました。なんとなく、就職前 - 働いている時期 - 退職後 とシンプルに分けてしまいがちですが、働いている時期も一色ではありません。ユングに「人生の正午」というよく知られた言葉があり、林住期は人生の午後とおおまかに一致するようです。ただ、たとえとしては「森の住人になる時期」のほうがずっと気が利いているように思います。
次の次
『「林住期」というヒンドゥー教の言葉が示すように、そこに入るトランジション期には、人は社会的活動に背を向け、思索と研鑽の時を過ごすために、ひとりで森に入っていくのである。』
と著者は書いています。もちろん仕事を辞めて引きこもるという話ではありません。
『このトランジションは、認めようと認めまいと、多くのアメリカ人によく見られる内的な変化と対応している。つまり、単純な成功への興味が薄れてくるとともに、これまでしてきたことへの意義や意味について関心が高まる』
時期だと述べています。
何がそのトランジションを引き起こすのか。著者は子供の独立や同世代の知人の病気など外的なきっかけが多いようだと観察しています。個人的には『古代ヒンドゥー教が描く人生観には、孫が誕生するころに重要なトランジション・ポイントがある。』という一文にハッとするものがありました。
子供の誕生がいろいろなことを考えるきっかけになったという人が少なくありません。女性よりは男性に多いように思います。わたしもその一人です。任務と責任の時期だという家住期の意味をわかりやすく示してくれるからでしょう。
いっぽう子供の子供である孫は、家族というよりは社会に、それも将来の社会に帰属する存在としての感慨を与えるのではないでしょうか。
わたしの好きなたとえ話に「ドミノ倒しを説明するには札が2枚でなく3枚必要だ」というのがあります(「454. 次の一手と、その次の一手」)。一枚めを倒すと二枚めが倒れるという事実だけでなく、倒された二枚めが三枚めを倒すところまで説明しないとドミノ倒しという帰納的な事象は説明できないという話です。
リーダーシップのトレーニングの時にしばしばこの話を引用します。直属の部下を束ねるのと、部下にも部下がいるような組織をリードする営みの根本的な違いが、このたとえ話に含まれていると考えるからです。孫は三枚めのドミノであり部下の部下です。要するに自分の手を離れたところで動く、しかし自分の影響を受けている存在です。そういった「次の次」が動き出したという感覚がトランジション・ポイントにつながるのではないでしょうか。
たとえば、直属の部下がその部下を立派にリードするようになった。自分の関わった製品が、それに対する改良点を盛り込んだ次世代版にバージョンアップした。そういった、「次の次」を感じさせてくれるできごとが積み重なって家住期から林住期へのトランジションが促されるのかもしれません。