2009年の1月、イスラエルが「エルサレム賞」という文学賞を村上春樹氏に授けるとの発表に対して受賞辞退を求める声が上がりました。その先頭に立ったのは「パレスチナの平和を考える会」。同会は、パレスチナ自治区への攻撃によって国際的に非難されているイスラエルが『「社会における個人の自由」への貢献を讃える』という趣旨の文学賞を運営しているのは偽善的であり、村上氏に対して、受賞の「社会的・政治的意味を真剣に再考されることを強く求め」ました(正確には、同会の公開書簡をご参照ください)。
エルサレム賞という文学賞を知らなかったのですが、ノーベル文学賞受賞者も名を連ねる、国際的に有名な歴史ある賞です。村上氏にしてみれば、(名誉ある賞とはいえ)頼んでもいないのに授賞の報せが降ってきた。同時に、辞退をせまる声も寄せられた。なんとも災難な状況だったと推測します。
受賞か辞退かの二者択一を迫られた村上氏は「受賞するが、受賞講演でイスラエルを批判する」という選択をしました。最初にこのニュースを見かけたときには、これぞ創造的な選択だと思いました。後で、こういう行動をした受賞者の前例があり、必ずしも氏の独創とはいえないことを知りましたが、それでもこれは「クリエイティブ・チョイス」だと思います。
授賞の報せを受けてから選択にいたるまで、それほど時間はなかったものと思います。その短い時間の中で、どのようにしてこの選択にいたったのかはもちろん分かりません。しかし「遠く離れているより、ここに来ることを選びました。自分自身を見つめないことより、見つめることを選びました。皆さんに何も話さないより、話すことを選んだのです」(【日本語全訳】村上春樹さん「エルサレム賞」授賞式講演全文)という言葉からは、氏が作家としての自分の存在意義まで遡ってから、考え下ろしてきたことがうかがえます。