思考についての6つの思い込み
“Mastering the Art of Quitting“(「やめる」というアートを身につける、未訳)という魅力的なタイトルの本を書いたペグ・ストリープ氏のコラムを読みました。”Think You’re Thinking? 6 Reasons to Think Again“(自分は考えている、と考えている?さらに考え直すべき6つの理由)というコラムで、氏はよくある思い込みを挙げています。
- 私は事実に基づいて決断している。 (I base my decisions on facts.)
- 私は良い点と悪い点を注意深く比べている。 (I weigh the pros and cons carefully.)
- 私は他の人よりも論理的に考えている。 (I think more logically than other people.)
- 私は客観的に考えている。 (I am an objective thinker.)
- 私は自分の行動を予測するのがうまい。 (I’m good at anticipating my own reactions.)
- 私は細部にまで注意を払っている。 (I pay close attention to detail.)
自分の思考についての6つの思い込み – *ListFreak
思考の「盲点」は自分にあり
6つの項目は、それぞれがバイアスに対応しています。たとえば1の思い込みは、利用可能性バイアス(あるいは利用可能性ヒューリスティック)から生じます。われわれは思い出しやすい事柄を一般的な事実と見なしてしまいがちなので、決断の根拠としている事実がほんとうに事実かどうかチェックすべきというわけです。
なかでも興味を引かれたのは、4の解説文の中にある「バイアスの盲点(“bias blind spot”)」という言葉でした。われわれは他人のバイアスは客観的に評価できるのに、自分にどのようなバイアスが働いているかをうまく評価できないというのです。
この造語はもちろん視覚の盲点から来ています。盲点は眼球の構造に由来するもので、誰にでもありますが、脳がうまく補完してくれます。したがってどんなに目をこらしても、普通のやり方では自分の盲点に気づくことはありません。人の自己認識にも「盲点」がある。すぐれたアナロジーだと思いました。
なぜ、このような盲点が発生するのか。Wikipediaに、”bias blind spot”という言葉を作ったEmily Proninらの解釈が紹介されていました。
それによれば、われわれが他人のバイアスを評価するときには、表にあらわれた言動のみに着目をします。それに対し、自分のバイアスを評価するときには、言動に加えて思考や感情をも対象に組み入れてしまいます。しかも、バイアスで歪められた動機によって。これらの操作は無意識に行われるので、意識的な内省によって取りのぞくことはできません。
うーむ、おそろしいですね。われわれは総じて「他人に厳しく自分に甘い」傾向がありますが、上記の理論によれば、特別自分に甘くしようと思っていなくても甘くなってしまう、ということです。そもそも、自分が客観的に考えているかどうかを正しく評価できていないのです。
「バイアスの盲点」を前提として考える
視覚の盲点が努力では消せないように、バイアスの盲点を努力で消すことはできないのでしょうか。盲点を埋める方法をいつくか考えてみました。
考えやすいように例を挙げます。たとえばわたしは、ファシリテーターとして客観性を保って場に立ちたいと願っているとします。
- 自分の客観性があてにならないことを前提とするならば、他人の頭を借りて補正を図るのが最善ということになります。さまざまな人に見学してもらい、フィードバックをしてもらうことで、客観的に考えられているかどうかをチェックできます。
- 「バイアスの盲点」が生じる原理から考えると、できるだけ言葉と行動にのみ着目することで、多少は盲点を弱められそうです。たとえばビデオや録音、ログなどを取ることで、「思っていたほどにはできていない」点に気づけます。
- さらにそれを時間を置いてから見直せば、より他人の目に近づけるでしょう。
- 再度上述の原理から考えると、最終的に現場での思考を変えるには、無意識のレベルで是正を図るしかありません。望ましい行動を習慣づけることで、もちろん完全にではないにせよ、望ましい応答ができるようになるはずです。