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コンセプトノート

132. 小異を残して大同につく

失敗…

大きな失敗をしました。仕事の失敗はよくやります。
今回も仕事の失敗のうちですが、つい我を張って
他人の気持ちを害したという、コミュニケーション上の失敗です。

そもそも成功とか失敗は何で測られるべきか。
あまり哲学的にならない程度にまとめるならば、
たとえばベンチャー企業なら、社会の公器たるために公開企業になる(上場する)。
たとえば個人なら、悔いのない人生を送るために仕事と生活のバランスを追求する。
そういった、大きな目的に沿った目標に照らして測られるべきでしょう。

それを論理的な正誤とか、その場の勝ち負けにばかりこだわっていては、
いつのまにか道をそれてしまいます。
小さな成功を求めて大きな失敗をすることになります。

小異を残して大同につく

と、自分の失敗は認めつつ、
そう割り切れるものでもありません。
「小異を捨てて大同につく」と言いますが、
例えば個人の信条に関わるようなことは、
おいそれとは捨てられないし、捨ててはいけない気がします。

このあたりはコラムのネタになるぞと思って調べてみると、
中国では「小異を残して大同につく」というらしいです。

意味するところはそれほど変わらないと思いますが、
「残して」の方も含みがあっていいですね。

自分なりにポリシーを定めて選択の基準とした以上は
いつもそれに従いたいところですが、仕事や生活の中では
妥協や修正を迫られる局面も多々あります。

そんなとき、大同につきつつも
「小異」は捨てずに残しておく。
もしかしたら重要なシグナルかもしれません。

「小異」こそ重要なシグナルかもしれない

いま、橋梁工事における大規模な談合が発覚して、大手企業の幹部が逮捕されるというニュースが話題になっています。

自分が同じ立場であったらどうだろうかと考えずにはいられません。新卒で大手企業に入って20年以上を過ごした(←ここは推測)自分が、いわゆる業界の商慣習にあらがえるか。例えば最初は合法的であった取り決めがだんだんグレーになっていったとしたら、どこかで異を唱えられるか。正直に言って、難しい気がします。
そんなことを考え合わせると、大同を選びつつも無批判に小異を捨てないでいる姿勢が、大事だと思えてきます。