場を収めた大族長の一言
イロコイ使節団の訴えによって、1982年には国連経済社会理事会・人権委員会の下に「先住民に関する作業部会」が新設され、人類史上はじめて国際社会全体の取り組みで世界各地の先住民族の現状調査を行なうことになる。
作業部会の初顔合わせでのこと、ある先住民代表が白人による圧迫と伝統の掠奪を激しく告発して、会合の場に緊張が走った。せっかく平和的な作業がはじまろうという矢先に、あいも変わらぬ衝突でつまずいてはしかたない。そのとき、当時のタドダホ(イロコイ大族長)レオン・シェナンドアが立ち上がり、凍りつくような沈黙を破った。
「 」
このひと言で、議論が本来のレールにもどったという。ピースメーカーゆずりの絶妙な弁舌だ。
(――『小さな国の大いなる知恵』より。一部編集・補足のうえ引用)
シェナンドアはなんと言ったか。すこし後で彼の言葉を引用しますので、よかったら考えてみてください。 スティーブン・コヴィーは『第3の案』の中で、イロコイ族というアメリカの先住民族に伝わる優れた合意形成のやり方を紹介しています。その話にひかれて『小さな国の大いなる知恵』という本を読みました。内容の紹介に代えて、表紙折り返しの文章を引用します。
アメリカ合衆国の中にFBIさえ踏み込めないネイティヴ・アメリカンの独立国がある。
いまも憲法で治外法権を認められた、アメリカの自由と民主主義の故郷――それがイロコイ連邦だ。
イロコイ人はアメリカ独立のさい、“建国の父祖”といわれる人々に計り知れない影響を与えた。
『一万年の旅路』のポーラ・アンダーウッドの家系に伝えられてきた、イロコイ族長スケナンドアとベンジャミン・フランクリンの友情を中心とする口承の物語、星川淳のイロコイ訪問記、その他さまざまな裏づけ資料から、アメリカ建国史の秘められたもう半分が見えてくる。
冒頭に引用したのは、この本の終盤に収められたエピソードです。最終行の「ピースメーカー」というのは、たがいにいがみ合っていた氏族をまとめてイロコイ連邦を発足させた立役者のこと。すべてが口承なのでピースメーカーが現れた時期は定かではないのですが、『そのとき星空に現れたと伝えられる新星などから割り出して、十一世紀とする見方が強い』そうです。
シェナンドアの言葉に戻りましょう。彼はこう言ったそうです。
「力強い戦士の声をありがとう。では次に、女性や子どもたちの声を代表して語りたい方は?」
いくら思慮深くあろうと思っていても、シェナンドアが直面したような「場に緊張が走った」状況に陥ると、なかなかうまくはいきませんよね。とはいえ、われわれの仕事や生活は、大部分がこういった一瞬のやりとりの積み重ねです。シェナンドアのようにスムーズにはいかないまでも、こういった場でなんとか思考を先に進める方法を形にしておき、取り出せるようにしたいと思っています。
ちなみにコヴィーが紹介したイロコイ族の合意形成の特長は、徹底的にお互いの話を聞くところにあります。研修や会議でトーキング・スティックという小道具を使ったことはないでしょうか。そのスティックを持った人間だけが話してよいというシンプルなルールを場に課すツールですが、それもイロコイ族の伝統から借りた知恵だそうです。大族長たるシェナンドアは、すべての参加者からの話を聞くという伝統の体現者ですから、このような発言が自然に出てきたのかもしれません。
何を言えばいいのか分からないときに何を言えばいいのか
わたしは先にシェナンドアの言葉を読んでしまったのでゼロから考えることはできませんでしたが、大いに刺激を受けました。これほど緊迫した状況でなくても、場に空白が生まれて「何を言えばいいのか……」と、こちらの頭まで真っ白になってしまう瞬間、ありますよね。わたしの仕事でいえば、講師役を務めていて、参加者が思いもかけない視点からコメントをくれたときがそうです。
実際、日常的にそういう必要に迫られてもいるので、自分用のコツをリストにしてみました。会話の中で使うリストは3ヵ条以下に限るというルール?に則り、3ヵ条で。
- 情動を鎮める …… これがなければ、次はない
- 目的から考えおろす …… 考える視点を教えてくれる
- 建設する …… すべての発言は建材である
このノートでは、情動の話はここ数年さんざん書いてきましたし、「目的から考えおろす」系の話は本になりました。どちらも研究テーマなのですぐに浮かんできました。わたしが実務で頼りにしている大事なコツです。
すわりのいいように3つめを、と考えて浮かんできたのが「傾聴する」ですが、何か違う……。次に「建設する」という言葉が出てきて、われながら「そうそう!」と感じ入ってしまいました。
わたしも人並みに傾聴を心がけています。よく聞かなければよいコメントは返せませんし、よくよく聞き届ければコメント自体不要になることも多いと思います。 しかし講師やファシリテータを務めているときには、相手が完全に話し終わってから自分の言うことを考えていたのでは、数十人からなる場を維持できなくなってしまいます。
たとえばAさんの発言を受けて「……なるほど。それはBさんの意見のうち、○○という論点に対しての反論ですね」といった感じで参加者の意見の構造化を図るとき、「……」の部分に5秒も10秒もかけていては、参加者の思考のテンポも上がってきません。話をよく聞くように心がけてはいるものの、残念ながら傾聴という感じではありません。
では話を聞きながら何を考えているのか。2つめのコツとしてあげた「目的」は、たしかに念頭に置くように努力しています。聞き手に「考える視点を教えてくれ」ます。ただともすると、目的から外れた(と聞き手が解釈した)話を切り捨ててしまいたくなる誘惑に駆られてしまいます。切られてしまった話し手は参加意欲を削がれます。
つい最近、そんな経験をしました。先日、ある会合に呼ばれて、あるサービスについての意見を聞かれました(曖昧ですみません)。わたしも意見を申し上げ、司会の人はうなずき、わたしの言葉をホワイトボードの右端にメモしました。 がっかりしました。というのも、その人にとって右端は、目的から外れた話を書きとめておく(だけの)コーナーであることを、たまたま知っていたからです。わたしなりには意味のある意見だったので、できれば「その話はテーマにどうつながるのか」などと尋ねてほしかったところですが、あざやかに「右端行き」へとさばかれたのをみて「ま、いいか」という気持ちになってしまいました。
実のところ、それはわたしも日常的にやってしまっていることです。自覚があるだけに、できれば最小限にしたいとは思っています。そういう悪戦苦闘の中で、ある種のコツとして言語化されつつあったのが「建設する」です。「織り上げる」「紡ぐ」「AND」などでもいいのですが、個人的には「建設する」が響きます。
これはつまり、一つの意見を一つの建築材料としてみなそうという発想です。今耳に流れ込んでくる話を、目的のためにどう役立てられるかという気持ちで聞くということです。太い柱になりそうな意見もあれば、窓の飾りとして好適な意見もある。ハンマーが持ち込まれることもありますが、それは建築物の強度を試すテストの道具になるかもしれません。あるいは何かに転用できるかもしれません。
家造りをイメージしてファシリテーションをしているわけではまるでないのですが、敢えていえばそんなモードで意見を拾おうとしているという意味です。そしてうまくそういうモードに入れていると、何を言えばいいのか分からないときに言うべきことがスムーズに浮かんでくるように思います。大族長にはほど遠いにしても。