企業の寿命は30年という説の源は、1984年の『会社の寿命―盛者必衰の理』(日経ビジネス/著)です。2007年の『戦略不全の因果』(三品 和広/著)では、この「盛者必衰の理」が業種の浮沈によって引き起こされていると分析されています。
30年説の再解釈
(略)
企業の寿命と日経ビジネス編集部は表現したが、浮沈は明らかに業種単位で起きている。しかも沈下は相対的な現象で、より正確に表現するならば、古い業種を追い越して、次々と波のように巨大な業種が押し寄せてくるのである。そういうダイナミックな変化の中で、過去の業種にしがみついている企業が、相対的に地位を低下させて行く。どうもそれが真相である。(p97)
個人の立場で考えると、同じ企業に勤め続けたとしても長期的には「業種越え」に挑戦しなければならない可能性が高いことを意味します。企業が同じ業種にしがみつこうとするとき、個人としては敢えてそこに留まることも、転職することもできます。ただし業種全体が沈んでいくならば、転職は必然的に「業種越え」への挑戦ということになります。
『戦略不全の因果』では、著者は「業種」でなく「事業立地」という概念(誰を相手に何を売るか、で定義されるフィールド)を用いています。上でいう「業種越え」のことは「転地」と呼んでいます。
さて「転地」の何が難しいか。詳しくは本書にゆずりますが、わたしがハッとさせられたのは、企業の「見えざる資産」も事業立地に依存しているという定義でした。「見えざる資産」とは、社外からの信用と社内の技能のことです。これらが事業立地に依存しているならば、「転地」の際に持ち運ぶことができません。転地の難しさの一つの理由がここにあるように感じました。
個人にとっての「見えざる資産」は、平たく言えば人脈とスキルでしょう。ただし、すべての「見えざる資産」が事業立地に依存するわけではありません。
培ってきた自分の強みの中には、仕事が何であれ「使い得るスキル」も「頼り得る人のつながり」もあるはず。
業種の浮沈は、個人や企業のよくコントロールできるところではありません。そういった波が一生のうちに1回か2回は来るということであれば、来るべき「転地」に備えておく必要があります。つまり、何が事業立地の中でのみ通用する資産なのか、何が本当にポータブル(持ち運び可能)な資産なのかを、整理しておくということです。