ネルソン・マンデラ氏のチョイス
バージン・グループの創始者リチャード・ブランソンが尊敬しているのは、誰か。どんな大実業家かと思いきや、南アフリカの人種隔離政策(アパルトヘイト)を撤廃に導いた政治家、ネルソン・マンデラだそうです。
僕が世界で一番尊敬している人物は、ネルソン・マンデラだ。投獄されていた27年間のうち18年間、ロッベン島で岩の破砕をさせられていた彼だが、魂までは打ち砕かれなかった。出獄し、刑務所から船着き場まで続く埃まみれの自由への道を歩みながら、彼は、胸にわだかまる苦い思いを解き放たない限り自由にはなれないと悟ったそうだ。そして彼は、ボートに乗るまでの短い間に、自分を苦しめた敵を許した。そうしなければ、結局彼らに自分を破壊されてしまうからだ。その瞬間、彼は本当に自由になったのだった。そして、それこそが彼を偉大な人物へと脱皮させたのだ。
リチャード・ブランソン 『僕たちに不可能はない』(インデックス・コミュニケーションズ、2008年)
自分を27年間投獄した敵を許すか、許さないか。表面的には二者択一問題ですが、わたしにとっては選択の余地はないように思えます。いったいどう考えたら前者を選ぶことができるのか。その困難さは、文字通り想像を絶します。生意気にも『必ず最善の答えが見つかる クリエイティブ・チョイス』というタイトルの本を上梓しましたが、自分がマンデラ氏の境遇に置かれて、それでも「必ず最善の答えが見つかる」のかと問われたとしたら……返答に窮してしまいます。
そこで、いろいろと想像してみました。「罪を憎んで人を憎まず」の言葉どおり、許せないのは特定の誰かでなく社会の構造だと考えてみたらどうか。アパルトヘイトを撤廃することこそ最高の復讐と考えてみたらどうか。
「敵を許すか許さないか」という「枠」
マンデラ氏になりきって(なりきれっこありませんが、そのつもりで)しばらくあれこれと考えてみて、ひとつ気がついたことがありました。許すか許さないかという問いかけ自体が、ある種の「枠」のなかにあります。あれやこれやと理由を付けて許す・許さないを選択するほかにも、選択肢はあります。たとえば、許すことも許さないこともしない。ただ未来と現在だけを考えて、なすべきことを為す。いわば「忘れる」という選択です。
許せないとしても、許す許さないの枠を外して未来に目を向けることで、忘れることはできるかもしれない。しょせんは思考実験の結果ですから、実際にどう考えられるかは分かりません。しかし敢えて考えを進めて、ほんとうに忘れることができるのかと考えてみると、一つの条件が浮かんできます。それは、自分の意識を未来に向けさせる、よほどはっきりした目的を持つこと。マンデラ氏にはそれがありました。これからなすべきことが明確だったからこそ、「忘れる」のではなく積極的に「許す」気持ちになれたのかもしれません。
加えて言うならば、マンデラ氏は出獄した時点で71歳でした。わたしはまだそれよりはだいぶ若いので、これも想像でしかありませんが、人生の残り時間が気になる年齢です。自分の27年間を奪った敵を許す許さないと考えている時間すら惜しいと思えれば、許す(忘れる)気持ちを後押ししてくれそうです。