●頭のよさ=「反射」の的確さ
次の10年間で追いかけてみたいテーマのひとつに「意思決定の瞬発力を高める」を挙げました。
たとえば誰かに何かを聞かれただけで、たちまち「今ここで何らかの決定をしなければならない」状況は発生するわけです。そしてそういった小さな応答の積み重ねが、われわれの仕事や生活をかたちづくっています。そういったリアルタイム性の高い応答を、われわれはどれだけ「善い」ものにできるのでしょうか。
『コンセプトノート10年のこれから』。
その興味にうまく合致した文章を、池谷裕二『脳には妙なクセがある』に見つけて、嬉しく読みました。時期も上のノートを書いた1か月後です。
池谷氏は本書に先立つ他の書籍でも、意識的に行っているはずの意思決定が、実は意識に上る前になされていることを示唆する多くの研究事例を紹介してきました。それらの結果を踏まえて、自由意志とは反射的に応答を返してくれる自動判定装置のようなものだと解説し、このように述べていました。
もちろん、自動判定装置が正しい反射をしてくれるか否かは、本人が過去にどれほどよい経験をしてきているかに依存しています。
だから私は、「よく生きる」ことは「よい経験をする」ことだと考えています。すると「よい癖」がでます。(下線部分は原著では傍点)
「自動判定装置」の出力の一つに情動を含められるとすると、経験の重要性はこれまで当サイトで重ねてきた考察にも呼応します。経験しっぱなしでなく、経験を刻んでおくために「感情を意志決定に活かすための、経験データベースの育て方」というリストをつくりました。
本書で氏は『その場面において惹起される限定的で自動的な応答』全般を「反射」と呼び、的確な反射ができることがすなわち「頭がよい」ということだという見解を披露しています。
私は、頭のよさを「反射が的確であること」と解釈しています。その場その場に応じて適切な行動ができることです。苦境に立たされても、適切な決断で、上手に切り抜けることができる。コミュニケーションの場では、瞬時の判断で、適切な発言や気遣いができる。そんな人に頭のよさを感じます。 (下線部分は原著では傍点)
●その場力=反射力+「一拍置く力」
しかし「反射が的確である」状態とは、いってみれば孔子が七十にしていたった境地、つまり「心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず」な状態です。これは当サイトを立ち上げたときに掲げた理想的な意志決定者の像でもあるのですが、あまりに遠い。結果的に反射の改善につながるような、かつ意識して経験を積めるような、うまい仕組みが必要と考えるゆえんです。
このノートでも再三採りあげている「一拍」が、そのヒントになると思います。反射(自動応答)イコール行動になってしまうケースもありますが、反射と行動の間に一拍を置き、行動を調整することもできます。好んで引用する『カッと来た時、口を開く前に思い出すべき「三つの門」』のような短いリストは、まさに「カッと来た」という反射(としての情動)と行動(たとえば怒鳴る)との間の一拍のうちに働き、望ましい行動を選ぶことを可能にしてくれます。
というわけで「意思決定の瞬発力」には、池谷氏のいうところの「反射力」に加え、もうすこしスパンを伸ばして「一拍置く力」も加えます。行動が必要なその場・そのときに、必要十分な反応速度で、自分なりに最善の行動が取れればよいのですから。これを「その場力」と名づけ、引き続き研究対象としていきたいと思います。