不時着事故から学んだ三つのこと
2009年1月15日に、155人を乗せた旅客機がニューヨークのハドソン川に不時着しました(1)。Twitterのつぶやきがマスメディアよりも早くこの事故を世の中に広め、ソーシャルメディアの威力を示した事例ともなりました(2)。
この旅客機の乗客の一人、Ric Elias氏が「不時着事故から学んだ三つのこと」という5分間ほどのスピーチを行っています。
着水へのカウントダウンが始まる。水面に激突してバラバラになるくらいならいっそ爆発してくれと思った。氏は「その瞬間」を臨場感豊かに描写します。わたしがもっともハッとさせられたのは、死を覚悟したであろうその瞬間に氏にわき起こってきた感情でした。以下に翻訳・引用します。
『「なんてこった、死ぬことは怖くないぞ」と感じました。まるで全人生をかけて準備をしてきたかのようです。しかし、とても悲しかった。死にたくなかった。私は人生を愛している。そしてその悲しみは、ひとつの思いに収斂していきました。たったひとつの願いでした。』
人生を手放すことへの悲しみ
川に不時着する瞬間になって「怖くはないが、悲しかった」という氏の言葉を聞いて、最初はびっくりしました。わたしなら恐怖に満たされてしまって、他のことを感じたり考えたりする余裕などないような気もします。
スピーチを聞く限りでは、氏が飛行機の中で恐怖を克服しようとした様子はありませんし、ふだんからこころを整える特別な訓練を積んでいたということでもなさそうです。ですから、誰でも氏と同じように感じ得るものと仮定しましょう。
恐怖はもっとも「古い」感情です。どんな動物でも死を回避しようとしますから、危険な状況を察知したら「恐怖」(単純な動物では「不快」)という情動を発動して回避行動を取らせる。恐怖はそのような重要な役割を担っています。
氏のスピーチが教えてくれるのは、人間は死の直前にあっても恐怖という根源的な感情を乗り越えてしまう(場合がある)こと、そしてその先に待っている感情は、人生を手放すことへの悲しみだということです。
氏の「たったひとつの願い」、それは『子どもたちの成長を見届けたかった』という思いだったそうです。
生還した彼は、言うなれば「先取りした悲しみ」に動かされ、何よりも良き親であろうと決意をしたそうです。
「たったひとつの願い」
先月の大震災以来、どこの家庭でもそうだと思いますが、我が家も避難グッズなどを見直しています。そういったことが平時の生活に安心をもたらすための物理的な備えだとすれば、氏にならって自分の「たったひとつの願い」を見きわめることは、精神的な備えだといえるかもしれません。
わたしは大震災の瞬間には都心の地下道を歩いていました。揺れがだんだん大きくなる中で、(こうやって振り返って書くのは恥ずかしいのですが)ちょっと死のことを思い、そして自分の「3年ルール」のことを思いました。これは自分の仕事と生活のポートフォリオを考えるときに、余命3年と仮定して優先順位を考えてみるということです(参考:『あと3年で死ぬ。「第二の人生」はない。』。このノートは『クリエイティブ・チョイス』にも転載しました)。
明らかに「3年ルールを課してきてよかった」と感じられました。このルールには、現在の満足度が高まる一方で将来の不安がなかなか減らないという特性がある(またあらためて書きたいと思います)のですが、やはり「後回しにしないでよかったこと」がいくつか思い出されました。
同時に「3年では足りない!」と強く感じたのも事実です。そのとき具体的に何がやりたいから足りないと感じたのか、残念ながらその場でしっかり掘り下げておかなかったので、正確には思い出せません。今日から始まる連休のどこかで、そういったことを考える時間を持ちたいと思います。
(1) “US Airways Flight 1549 News” – The New York Times
(2) “U.S. Airways Flight 1549, Twitter and an Amazing Photo” | Peter Kafka | MediaMemo | AllThingsD