経営大学院やベンチャーキャピタルを傘下に持つグロービス・グループを創立した堀 義人氏は、自身がハーバード・ビジネス・スクールで学んだケース・メソッド(実事例についてのディスカッションをベースにした学習法である)についてこう述べています。
ケース・メソッドで求められるのは、「正しい解」ではなく、「最善の解」だ。仮説と検証を繰り返し、意思決定をするプロセスそのものに学びがあるのだ。
― 堀 義人 著 『創造と変革の志士たちへ』 (PHP研究所、2009年)
このノートのタイトル【「正しい解」ではなく、「最善の解」を】も、
同書からの引用です。この言葉にハッとしたのは、
ちょうど脱稿したばかりの『クリエイティブ・チョイス』に、
編集者と出版社がつけてくれた副題が、
「必ず最善の答えが見つかる」という言葉だったからです。
ほんとうに「必ず最善の答えが見つかる」のか
たしかに、そのようなことを本文中で書いています。しかし、
それを本の表紙で言い切ってしまってよいものか。
自分は果たして最善の答えを見つけてきたと言えるのか。
「必ず最善の答えが見つかる」という表現そのものが、
「正しい解」を求める読者の心をくすぐるトリックではないのか。
ご提案いただいた副題を見ながら、しばらく考えてしまいました。
そもそも「善」というのは主観的なものですから、
自分がその選択を最善だと思えば、それが最善になります。
しかし、実際にはそう割り切れるものではありません。
わたしもあいかわらず、よく考え抜かなかったといっては悔やみ、
結果が悪かったといっては悔しがっています。
そのような選択ベタだからこそ、
・選択の前に、何をどれだけ考えればよいのか?
・選択を、いかに博打(ばくち)から切り離すか?
・選択の後で生じる結果を、どう解釈するか?
といったことについて、尽きない興味を注ぎ続けられるのでしょう。
われわれの創造性が問われるとき
幸か不幸か、まだまだ興味は尽きません。学問の世界でも、
人間の意思決定のメカニズムについてはどんどん新しい発見があります。
現時点でわたしが信じているのは、
「選択のよし悪しは選択の瞬間には決まらない」ということです。
ある選択をしたわれわれは、人生の残りの時間をかけて
その選択に意味を与えていくことができます。
そういった信念の表明として、「必ず最善の答えが見つかる」という
重たい副題を受け止めよう。そう考えました。
どのような選択肢を思いつくか、その結果がどうだったかということより、それをどう意味付けるかという点において、われわれの創造性は問われるのです。
堀内 浩二 著 『クリエイティブ・チョイス』 (日本実業出版、2009年)