止めるという目標と、目標設定を止めること
年末年始は何かと「目標」が気になる季節。すこしひねった角度から目標について考えさせてくれる文章を2つ見つけたので紹介します。
ひとつは『どうやって「やめどき」を知るか』という、今日付けのネット雑誌の記事から(1)。2012年の目標に「何かを止める」を加えるべきだという著者は、こう述べています。
『われわれは、既に費やした時間や資金や労力を正当化するために、見込みのない努力を続けてしまうことがある。たとえば退屈な本、不安定な結婚生活、展望のない仕事など。』
人間がいかに過去に引きずられるか、どうすればよいかについての学びは、『過去に引きずられないためにも「選び直す」』というノートにまとめました。新年になると、つい「新しい何かを始める」気分になりますが、「これまでの何かを終わらせる」という目標も、もちろんあってよいわけです。
もうひとつは、呼吸を通じた瞑想の本から。最近、風邪でベッドから出られない日がありました。何もできないとはいえ呼吸はするわけだし、むしろ呼吸しかできないのだから練習にちょうどいいかもしれない。そう考えて枕元に持ち込んだ本からの引用です(2)。
私が何年も前にカレッジの教授をしていたとき、(略)毎年秋になると多くの最上級生たちが私のところにやって来て、「来年何をしたらいいのかわからない」と言うのです。
(略)
年末までに学生たちの九〇パーセントは決心をしていました。みな私のところにやって来ては最終的な決定だと言わんばかりに発表します。歯医者、法律、ソーシャルワークなど。私には彼らが心からそう決心したとは、とても思えませんでした。彼らは不安に耐えることができず、ただ何かをやってみるだけなのです。とはいえ、混乱をオープンに認めることができて、決心しないまま学年を終える学生も数人いました。私はいつも彼らの勇気を称えたものです。
(p126より。太字は引用者による)
「混乱を断ち切った」という宣言が、実は混乱から目を背けた結果に過ぎない。著者の残酷なまでの観察は、的を射ていると思います。
自分の仕事に関連して思い当たるのは、企業研修などで、最後に「決意」などと称した宣言をするまとめ方です。「これをする」と安直に決めてしまうことは、思考停止を招きかねません。「何をすればよいのか……」とモヤモヤしたまま現場に帰るべき人もいるかもしれないのです。
しかし、参加者は、せっかく費やした時間の対価として明確な決意なり行動目標を得てスッキリしたいものです(3)。ファシリテータは、場をきちんと収束させて(すくなくとも研修直後の)参加者の満足度を確保したいという誘惑に、あるいは参加者がスッキリして場が閉じられるべきだという義務感に、なかなか抗えません。かくして、じっくり向き合うべき混乱から目を背けた「決意」の乱発が、起き得てしまいます。
「新年の決意」の見直し方
2つのコラムから、いわゆる「新年の決意(New year’s resolution)」の見直し方を考えてみます。
- あきらかに「止めたい」と願う悪習慣だけでなく、続ける価値があるか疑わしい習慣を探してみる。もし、いつも年末に敗北感を味わっているのなら、「年初に新しい目標を立てる」という行為自体が「止める」べき習慣なのかもしれない(!)
- 「心機一転」的な決意には、現状からの逃避がひそんでいる(かもしれない)。「旧年のモヤモヤを『新年の決意』で上塗りすることはできない」と観念し、越年させるべき問題は越年させる。
……書きながら、「やっぱり年末年始らしく明るいオチをつけたい」という誘惑を感じていますが、あえてこのままで。
(1) Ellen Gibson, “When Is It Okay to Quit – How to Know When Something Isn’t Right” (Oprah.com, 2011/12/23)
(2) ラリー・ローゼンバーグ 『呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想』(春秋社、2001年)
(3) もちろん、安直なまとめを嫌い、現場に持ち帰って考え続けたいという参加者も少なくありません。しかし終了直後の満足度アンケートなどの情報からは、全体としては少数派といえます。