悪い知らせへの反応モデル (The Bad News Response Model)
ポジティブ心理学の研究者であるソニア・リュボミアスキー教授の著書『人生を「幸せ」に変える10の科学的な方法』で、フロリダ大学(当時)で心理学を専攻していたケイト・スウィーニーの研究が紹介されていました。興味を引かれたので引用元の論文に目を通してみました。(1)
氏は、医者が悪い知らせを患者にどう伝えるべきかを研究していました。その一環として、患者の「悪い知らせへの反応モデル」を描いています。患者が悪い知らせを受けてから次の行動を選択するまでのステップを定義し、その選択を最善のものとするために医者はどう支援できるかというのが論文の主旨でした。
「悪い知らせへの反応モデル」は、一般化すれば個人の意志決定に活かせそうです。そこで論文の意訳を紹介しつつ、すこし改変した決定のステップをお目にかけます。
1. 現在の状況を評価する
悪い知らせを受け取った人は、それを評価します。対処を決めるために、次の3つの度合いを評価する必要があります。
- 【深刻度】その事態は深刻か?(誰にどんな影響を及ぼしそうか?)
- 【確度】深刻な事態に陥る可能性は高いか?(いつどれくらいの確度でそうなりそうか?)
- 【制御度】その事態を変えられるか?(その事態を避けるために何ができそうか?)
悪い知らせの例として、こんなケースを考えてみましょう。あなたは上場企業に勤めています。今朝、ある社員の不祥事が発覚したというニュースを目にしました。読者コメント欄では、類似の不祥事から倒産にいたった事例を挙げ、最悪の可能性を議論している人々がいます。
あなたは次のように評価したとします。
【深刻度】:勤め先が倒産すれば、もちろん深刻だ。
【確度】:とはいえ、不祥事の性質からすれば、倒産にいたる可能性は低いだろう。
【制御度】:自社とはいえ別の部署の事件であり、一従業員である自分にできることはあまりない。
深刻度-確度は、よくある重要度-緊急度に近い分類のように思えます。深刻度は、重要度のネガティブな側面を取り出したものです。確度も、緊急度と相関があるでしょう。一般に先のことほど確度が下がりますから、悪い事態が起きる確度が高いときにはそれが起きる時期も迫っていることが多いので。
2. 未来の選択肢を洗い出し、方向性を定める
あなたが取り得る選択肢は大きく4種類あります。
- 【立ち向かう】積極的に対応する
- 【見守る】注意深く事態の変化を見守る
- 【受け容れる】受けいれて最善を尽くす
- 【目をつぶる】何もしない。見なかったことにする
【目をつぶる】は対策になっていないように感じられます。しかし、あまりにも悪い知らせの場合には、精神の安定を保つうえで効果的な選択であるという研究があります。リュボミアスキー教授の著書では省かれていた、この第4の選択肢を見つけたときには、なんだかホッとしました。打ちのめされるような悪い知らせの場合には、クッションも必要ですよね。とはいえ、これはやはり短期的に許容される選択であり、長期的にはそれ以外の方向性で対処を考えていくべきでしょう。
論文では、状況の評価と選択肢を組み合わせて、次のような方向性が示されています。
確度
低 高
┌──────────┬──────────┐
低│制御度低→見守る │制御度低→見守る │
深 │制御度高→見守る │制御度高→立ち向かう│
刻 ├──────────┼──────────┤
度 高│制御度低→見守る │制御度低→受け容れる│
│制御度高→立ち向かう│制御度高→立ち向かう│
└──────────┴──────────┘
※ここでも、リュボミアスキー教授の著書と引用元の論文には違いがあります。論文では、上記のように深刻度も確度も低いならば制御度にかかわらず「見守る」としています。著書ではここが「変える」になっています。要するに、変えられるならいつでも「変える」アプローチを推奨しています。
3. 目的に照らして、選択する
方向性がおおよそ見えたところで、何を選ぶか、あるいはどう組み合わせるかを考えます。そのためには、判断基準が必要です。論文は医療での悪い知らせが対象なので、患者自身のQoL(Qualtiy of Life、生活・人生の質)が基準になっています。一般バージョンでも、QoLという言葉ではないにせよ、価値観やビジョンなどの目的にかなうかどうかが基準になるでしょう。
不祥事の例に戻ると、深刻度は高いが確度・制御度は低いと判断したので「見守る」になります。
立ち向かうか、受け容れるか?
上述のマトリックスを見ていて面白いと感じたのは、一番厳しい右下の象限においてのみ、立ち向かうか受け容れるかという二者択一を迫られることです。予想される事態の深刻度が高く、しかもそれが起きる可能性が高いとなると、見守るという選択ができません。しかも、立ち向かうか受け容れるかを判断する基準は、自分がその事態を打開できるかどうかという主観的な評価にかかっているということです。
現実はこのマトリックスのように線が引いてあるわけではないので、選択の方向性もじわじわと遷移するのでしょう。不祥事の例で考えてみると:
- 事態が急速に悪化して倒産の確度が高まったとしましょう。自分が何らかの影響力を及ぼせると思えば、対策チームに名乗りをあげたりして【立ち向かう】選択ができます。
- しかし、やはり自分の微力では事態を変えられそうもないとわかってきた。そうなると、大きな買い物を控えるなどすると思います。【立ち向かうが、受け容れにも備える】という感じでしょう。
- いよいよ倒産が確実視されてきたとなると、取引先への謝罪や部下の受け入れ先の確保など、【受け容れる】覚悟をしたうえで最善を尽くすことになると思います。
モデルは、ここでステップ1に戻ります。今度は「勤め先がない」という状況を評価し、次の選択肢を吟味していくことになります。
このサイクルは、いつまで続くのか。最後の悪い知らせである死に立ち向かうか、それを受け容れるかという最後の選択まで、でしょう。研究が教えてくれるのは、幸いなことに人は死を受け容れてもなお(もしくは受け容れたがゆえに)QoLを高める、心の平穏を保てることを、われわれの大先輩たちが身をもって示してくれているという事実です。
(1) Sweeny, K., & Shepperd, J. A. (2007). Being the best bearer of bad tidings: The Bad news response Model. Review of General Psychology, 11, 235-257.