「好きなことを仕事にする」という恐怖
「好きなことを仕事にする」ことを真剣に考えるとき、感じる恐怖があります。
それは、自分がこれだけ入れ込んでいる仕事が評価されなかったらどうしようという恐怖です。
「仕事は仕事、趣味は趣味」「仕事はお金を稼ぐためにやる」と割り切っている人は、仕事は人生の一部でしかないことが明らかです。だから仕事で否定されても自分を否定されたとは思わない。
ところが「好きなことを仕事にする」と考えるときには、仕事は自己表現の手段です。その成果が認められないということは、ある意味で自分(の一部)が否定されたようなものです。悲しいかな、現実にそういうことは起こります。
我々がともすると「新卒じゃあるまいし」「世の中そんなに甘くない」「もうそんな歳じゃない」などといって「好きなことを仕事にする」というアイディアを遠ざけがちなのは、何よりもこの根源的な恐怖のためではないかと、思うことがあります。
わたしは創業するときに、非常に「わがまま」に事業ドメインを定めました。仕事と生活を含めて、自分ができることとやりたいことが極力マッチするような、それでいてちゃんと稼げるような、青図を勝手に描きました。
幸い当座の生活資金はありましたから、事業がうまくいかないという恐怖に対してはヘッジできていたはずです。それでも怖さを感じていた、その正体は上記の恐怖、「好きなことで認められない」という恐怖ではなかったかと、今にして思うのです(※)。
「現実派」のロマンチシズム
「自分はロマンチストではなく、現実派なので」といって、「好きなことを仕事にする」を考えることを否定される方がありますが、実はそういった方こそが真のロマンチストなのではないでしょうか。
夢を白日の下にさらして、壊してしまうリスクを負いたくない、夢は夢のま温めておきたいという気持ちがあるのではないか。もしそうだとしたら、それは現実的な判断ではなく、恐怖による思考停止ということです。
そんな自称「現実派」にも、ロマンの勝つ時期が訪れます。「死ぬ瞬間に後悔したくない」からといって、例えば突然大金を投じてロマンに賭ける。チャレンジ慣れしていないので失敗する。自称「現実派」が仰るとおり、世の中そんなに甘くないのです。しかしどのように甘くないかは、自分のロマンを現実にぶつけてみなければ分かりません。
であれば、夢は過保護に温めず、どんどん晒していったほうがいい。
小さなチャレンジを通じて、現実に晒しながら、育てていったほうがいい。
たとえ壊れても、また持つことができるのですから。
(※)わたしの「好きなことで認められない」という恐怖は、残念ながら大部分現実のものとなりました(現実は甘くない!)。しかし一部、認めていただけた部分もあり、そこからまた次のチャレンジの芽を見出すことができました。
(参考)
> 「最強の仕事選び戦略」
> 「Steve Jobsのスピーチから読み取る自分戦略」