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コンセプトノート

742. 「もの申す」スキル

「もの申す」のは難しい

マシュー・サイド 『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2016年)を読みました。今年目を通した実用書の中では最も面白かった(出版は一昨年)。その中で、注意を引かれた話がありました。

ある手術の準備で、患者の喉に気管を挿入する際に小さなトラブルが発生した。執刀医たちは奮闘するものの、他のトラブルも重なってうまくいかない。患者の容態は急激に悪化していく。看護師は状況を読み、代替手段(気管切開)の手配をし、準備ができたと告げる。しかし、気管挿入にあまりに集中していた医師たちは耳を貸さない。結果として患者の命が失われた……というエピソードです。

この失敗の原因を医師のスキル不足だけに帰すわけにはいきません。『このような強いストレス下では、人間の基本的な生理反応により視野は狭まり、認識力も低下する』ため、生身の人間が一人で対処するには難しすぎる状況なのです。

一方で看護師も、目上の存在である医師に対して強く介入できないことがわかっています。この、目上の人に意見しづらいという現象は、航空業界での類似事例において、極端なかたちで示されています。フライト中、機長が目の前のトラブル解決にかかりきりになってしまう。副操縦士には代案があるが、言い出せない。あるいは言っても聞いてもらえない。そうなると、それ以上の介入を諦めてしまう。結果として結果として墜落……という事例です。自分の命がかかっていてさえ、そうなのです。

ちなみに、航空業界では、事故の事例や分析結果は業界内で共有され、改善が図られていくそうです。対照的に、医療業界にはそのような文化や仕組みが少なく、失敗から学ぶという点で両業界には大きな開きがあるとのことでした。そのあたりからも大変興味深い学びを得ましたが、別の機会に譲ります。

それでも「もの申す」には

こういった問題を解決するには、手術あるいはフライトという行為のデザインそのものを見直していかなければなりません。その取り組みの一環として、看護師や副操縦士のような補佐的な立場の人間が医師や機長に自分の意見を主張するスキルが整備されています。

検索してみると、看護師向けのサイトが多くヒットしました。たとえば Life in the Fast Lane という組織の “Speaking Up“、「声を上げる」というページでは、主張する際には “Hint and Hope” はダメだと書いてあります。ヒントを出して期待する、つまり遠回しに言って気づいてくれるのを待つようなアプローチは、現場では通用しないという意味でしょう。

ではどうするか。”Graded Assertiveness”、つまり「段階的・傾斜的な主張」というやり方が紹介されていました。『失敗の科学』でも引用されていた PACE という手順は、つぎのようなものです。

  • Probe(確認・探求) 「~はご存じですか?/なぜ~なさるのですか?」
  • Alert(注意喚起) 「このままでは~になるのではないでしょうか」
  • Challenge(挑戦) 「このやり方ではうまくいかないと思います」
  • Emergency(緊急事態) 「それをやめてください!/~をやる必要があります。なぜなら~」

段階的主張の手順(PACE)*ListFreak

自分の仕事で “PACE” せざるを得ないシーンを想像してみました。手術やフライトのような緊迫した状況はまずありませんが、たとえばお客様が(わたしから見ると)明らかに誤った決断をされようとしていて、自分の職業倫理に照らして、それを見直すよう主張すべきと考えたとします。

シミュレーションとはいえ実践してみると、リストをただ読んだときとは違った風景が見えてきました。そもそも4回繰り返すこと自体が、辛いです。というのは、一回ごとに無視や拒絶や反論といった相手からの反応が、無反応という反応を含めて、あるわけです。

最初のNOを乗り越えて2回目、さらに拒否されても3回目、最後は無視されても4回目……となると、そこまでして主張すべきなのか、そこまでの確信はあるのかなど、迷いが生じます。しかも段階的に強めて主張していくとなると、精神的にはかなり難しくなると感じました。

「繰り返す」というスキル

PACE そのものは、ビジネスの現場で直接使う機会は少ないと思います。ただ、相手の深い理解を得るために「繰り返し伝える」のは立場を問わず重要なスキルです。

PACEの場合は主張の強度を変えていくわけですが、状況を変える(例:さまざまな事例を挙げる)、視点を変える(例:お客様からどう見えるか?)、時間軸を変える(例:長い目で見たらどうか?)、深度を変える(例:根本原因に遡ったらどうか?)など、相手にわかってほしいことを様々な角度から繰り返し伝える方法を、意識的に開発していきたいと感じました。