組織が腐っているとき、自分がところを得ていないとき、あるいは成果が認められないときには、辞めることが正しい選択である。出世は大した問題ではない。
― P.F.ドラッカー『非営利組織の経営』
経営学の父は、転職・辞職に寛容です。ちょっと意外でした。
三つの「辞めどき」が述べられています。この中では「組織が腐っているとき」あるいは「成果が認められないとき」は、比較的判断しやすいですね。
もちろん、腐った組織を建て直してこその仕事だという見方もあれば、成果を正当に認めさせる組織にするのも仕事のうちだという見方もあります。ただ、ドラッカーの切り分けでは、それは経営者の仕事であり、個人としては「辞めるのが正しい選択」ということでしょう。
難しいのは、「自分がところを得ていないとき」をどう測るか。たとえば「健全な不安」で紹介したAさんのケースも、組織が腐っているわけでもなければ、成果が認められないわけでもなかった。ただ、チャレンジできる環境を作り出せなかったことが辞職の理由になりました。
「ところを得ている」とはどういう状態か。
「やりたいことができている」仕事であっても、その価値が社内外で認められなければ、ところを得ているとは言えない。
「学べる」仕事であっても、それが自分にとってつまらないものであれば、ところを得ているとは言えない。
「認められる(稼げる)」仕事であってもで、そこにチャレンジがなければ、ところを得ているとは言えない。
「ところを得ている」感覚を定義しようと考えていくと、この三つの交点になりそうです。
Passion – 情熱を注げている感覚
Skill – 能力を発揮できている・伸ばせている感覚
Value – 価値を認めてもらっている感覚
これは『「求められる人材」から「活躍する人材」へ』でもご紹介した枠組みです。
この三つが満たされなければ即ち辞めどきか。もちろんそうは思いません。これは目指すべき状態であって、いつもこうあるべきというのは現実的ではないでしょう。
ただ、理想とする状態を描いておくことは、辞めどきを考える上で意味があります。
・過去の経験を振り返って「ところを得ていた」状態を思い出し、
・その状態と今とを比較し、
・何を変えたら「ところを得ている」状態を作り出せるか?と問うてみる。
どうしても答えが見つからなかったら……辞めどきかもしれません。