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コンセプトノート

246. 鍛えるとは、捨てて残すこと

刀鍛冶が刀を鍛えるところを見学しました。鉄のかたまりを打ち延ばしては畳み、打ち延ばしては畳む。そういう作業を7回くらい繰り返しながら刀の形にしていくとのこと。豆腐大の鉄から鍛えはじめて、やっと揚げ豆腐ほどに平たくなるまで、30分以上掛かりました。作業も単調です。最初は鈴なりだった見学者も、やがて少なくなりました。

見学者が少なくなった理由はもう一つあります。ものすごい勢いで火花が飛び散ってくるのです。わりと近くで見学していたので、服に当たった方もいたかと思います。刀匠によれば、鍛えていく過程で重さは数分の一に減ってしまうとのこと。叩いて叩いて、鉄と炭素の結晶構造の向きを揃えていくうちに、夾雑物などが火花として弾き飛ばされるということのようです。

鍛えるというと、「筋肉を付ける」「知識をチャージする」というイメージを持っていたのですが、刀の場合は捨てる一方です。将来刀になる鉄と炭素の原子は、最初からすべて材料の中にあります。刀鍛冶は、いらないものをそぎ落とし、残ったものを目的にあった形に作り上げるだけなのです。

鍛えるとは、まず捨てること。残ったものを徹底的に磨く(*)こと。
この発見にハッとするところがありました。
自分の鍛え方に置き換えてみると、こんな感じでしょうか。

あれがないこれがないと思う気持ちは、いったん置く。
いらないものは、捨てる。
自分の身に備わっているものを大事にする。最大限に活かす。

(*)磨くというのは比喩的な意味です。刀を文字通り磨くのは、刀鍛冶ではなくて研ぎ師という別のプロフェッショナルの担当です。