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コンセプトノート

689. 心の筋肉痛を癒やす

なぜ感情は “feelings” なのか

デイヴィッド・J. リンデン 『触れることの科学: なぜ感じるのか どう感じるのか』(河出書房新社、2016年)を読みました。著者は神経学者で米ジョン・ホプキンス大学の医学部教授。プロローグから興味深い問いかけが始まります。

 英語において感情は、視覚や嗅覚を表す sightings や smellings ではなく、本来触覚を表す feelings という言葉で表現される。これはなぜだろうか。(略)実は「感情的な影響を受けること」を「I’m touched」と表現し、「感覚的情動」を「feelings」と表現する使い方は、遅くとも13世紀後半には現れていた。

日本語でも、たとえば「心が傷つく」といいます。これは触覚ベースの比喩表現ですが、他の言い回しが思いつかないくらい、われわれの語彙に組み込まれています。そんな触覚の一つである痛みと感情との関係に焦点を当てた第6章「痛みと感情」に興味を引かれました。

痛みには感覚と感情とがある

まずは(身体の)痛みのメカニズムから。本書を要約します。

たとえばつま先を何かにぶつけると、その瞬間イタッという鋭い痛みが来て、やがてずきずきという痛みがやってきます。前者が第1痛、後者が第2痛。

第1痛は、脊髄の太い神経を通って時速約110~240kmの高速で伝わります。パルスのように強い痛みが短い時間続きます。第2痛は、C線維という細い神経を通って時速約3kmの低速で伝わります。ピークの痛みは弱いものの、ピークに到達して減衰するまでに長い時間がかかります。このように大きな速度差があるので、つま先のように脳から離れた場所での痛みは、第1痛と第2痛を区別することができます。しかし顔面など脳の近くでの痛みについては区別できません。

第1痛と第2痛が脳のどの部位を活性化させるかという研究から、それぞれの役割の違いも明らかになっています。第1痛は痛みの場所や強さはもちろん、質を識別します。たとえば『灼けるようか、凍るようか、鋭いか、鈍いか』など。第2痛はその刺激に、たとえば『「自分は安全なのか、危ないのか」「この痛みは予想通りか、意外だったか」「この痛みでこれからどうなるのか」』といった情報を統合し、感情を付与します。たとえば『「こりごり」「むごたらしい」「耐えがたい」』など。

つまり、痛みには感覚と感情とがあります。痛み止めの薬が抑えるのは痛みの感覚で、瞑想が抑えるのは痛みの感情です。どちらによっても痛みは抑えられます。

心の筋肉痛を癒やす

ここからが本題。心の痛みは、痛みの感覚を生じさせる器官がないので、感情のみによって生じるもの……だと思いきや、どうもそうでもないようなのです。

たとえば誰かに拒絶されるといった社会的な痛みも、痛み止めの薬で軽減されるそうです。これは、心の痛みにも感覚の側面があることを示唆しています。

さらに興味深いのは『最近恋人に別れを告げられた人にその元恋人の写真を見せると、感情的な痛みの中枢ばかりでなく、感覚識別的な痛みの中枢である2次体性感覚野も活性化した。』という記述。写真1枚が、痛みの感情はもちろん、ナイフで切りつけたのと同じ痛みの感覚をもたらしたということです。釈迦は知覚の源として「眼・耳・鼻・舌・身」のいわゆる五感に「意」を加えて六根としていますが、その正しさが証明されつつあるように思います。

身体的な痛みと心の痛みとのつながりは、まだ解き明かされたわけではありませんが、身体の痛みを癒やすためにわれわれがやっていることを、心の痛みを癒やすためにやってみても損はなさそうです。

痛みの、感情の側面については、瞑想など感情のマネジメントの手法がいろいろと使えそうです。これまでそれなりに考察してきたといってもいいので、本ノートでは身体の痛みの感覚を癒やす手法を心の痛みに転用する可能性について考えてみたいと思います。

まず思いつくのは、筋肉痛に対してするような「休ませる」「ほぐす」などのケアです。心には筋肉がありませんが、使いすぎると疲れるという点では似ています。ただし目に見えない心を「休ませる」「ほぐす」といってもイメージしづらいので、可視化のために心を「刺激-応答のパターン集」と見立てることを思いつきました。

腕など特定の箇所が筋肉痛になるように、心の筋肉痛とは特定の刺激に対して過敏に反応してしまう状況だと捉えるのです。その筋肉痛を休ませるとは、その刺激をしばらく避けること。ほぐすとは、周辺に弱い刺激を与えて正常な刺激-応答を増やしていく、つまりめぐりをよくすること。そんなアナロジーを働かせていけば、筋肉痛をやわらげるテクニックを心の筋肉痛に活かせそうです。ちなみに筋肉は、適度に休ませることで強くなっていく、いわゆる超回復効果があると言われますが、心にも超回復効果があるように思います。

そのほか、研究を紹介した頭痛などの鎮痛薬は、注意深く試してみる価値があるかもしれません。外傷用の塗り薬は……心の傷では何に相当するのでしょうか。アルコールが効くとよいのですが。