ヤンテの掟
次のリストを一読して、どのように感じられるでしょうか。
- 自分は特別だと思わないこと。
- 自分は人並みに善良だと思わないこと。
- 自分は人より賢いと思わないこと。
- 自分は人より優れていると自惚れないこと。
- 自分は人より物知りだと思わないこと。
- 自分は人より重要だと思わないこと。
- 自分は何かに秀でていると思わないこと。
- 人を笑わないこと。
- 自分は人から気にかけてもらえると思わないこと。
- 自分は人に何かを教えられると思わないこと。
- ※人は自分のことを何も知らない、と思っていないか?
ヤンテの掟 – *ListFreak
Wikipediaによれば、これはデンマークの作家アクセル・サンデモーセが1933年に出版した小説”A Fugitive Crosses His Tracks”に載っているそうです。ヤンテとはデンマークの架空の町。「誰も無名ではいられない」ほど小さいコミュニティで暮らすスカンジナビア人のスタンスを風刺した、架空の掟とのこと。
わたしは8番めくらいまでは「謙虚たれ」という教えなのかなと思って読んでいました。しかし9番め以降を読んで、他者の眼を強く意識したリストであることに気づきました。「徹底的に埋没せよ、依存するな、干渉するな」という感じです。今のわたしの生活環境をものさしにすると「気にしすぎ」だと感じるものの、総じて好ましい印象を持ちました。
ところがアメリカのマーケターであるセス・ゴーディンは『「型を破る人」の時代』でこのリストを紹介し、多くの文化や学校での教えと同じだと述べたうえで、次のように強く難じています。
これらのルールを見ると、私たちはいかに希望を打ち砕かれ、アートを妨げられているかがわかる。これは産業主義の信条で、かつては正しいことだったが、いまはもう役に立たない。
本書では、産業主義の信条を守る人が使う言い訳を並べています。
- 言い訳1「私には変える力(権限)がありません」
- 言い訳2「いままで経験がありません」
- 言い訳3「目立ちたくありません」
- 言い訳4「私にはできません」
- 言い訳5「言われたとおりにやりました」
- 言い訳6「私はそんな特別な人ではありません」
- 言い訳7「やろうと思えばいつでもできる」
「型を破れない人」の7つの言い訳 – *ListFreak
ヤンテの掟を守りつつ、型を破る
わたしは、邦訳されたものはすべて目を通しているくらいゴーディン氏の著作のファンで、先述の「7つの言い訳」も、著作中に散らばっていたものをわざわざまとめてメモしました。しかし、ヤンテの掟がもう役に立たないという解釈は、氏の誤解ではないかと思います。
(ヤンテの掟は先述のようにフィクションですが、スカンジナビア人の考え方をある程度リアルに反映しているものと解釈して先に進みます。)
スカンジナビアにも昔から政治家など目立つ仕事・教師など人に教える仕事・芸術家など自分の個性を発信する仕事をしている人はいたわけです。スカンジナビアではそういう職業に就こうと思う人がおらず、仕方なくその職を担った人は人々から蔑まれる存在だったのか。
北欧諸国の産業や教育分野での成功ぶりを見れば、そうではないとうかがえます。慎ましい態度で生きることと、発するべきメッセージを発することとは、両立させられるのです。
では、信条としてはヤンテの掟を守りつつ、7つの言い訳をせずに「型を破る」ためには、どうすればよいのか。三つほど、大事な点がありそうです。たとえば人にものを教える教師という仕事を例にとって考えてみます。
一つめは、大きな目的に目を向けること。自分の物知りぶりをひけらかすようで教師にはなれない・なりたくないと思う人でも、次世代の人間を育てるという大きな目的から考えおろすならば、自分のささやかな知識を披露しようと思えるでしょう。
二つめは、論理的な正しさに目を向けること。自分のやっていることが、目的に照らして最善の行動であると、熟慮のうえで納得できれば、信条と矛盾なく教師でいられることができるように思います。
三つめは、感情をよく整えること。そうはいっても誰かに批判されるのではという不安に駆られたり、実際に物知りぶるなという批判をされることがあるかもしれません。強い意欲・高い知能を備えた人でも、心のマネジメントが十分でなければ、言い訳の鎧を身にまといたくなると思います。