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コンセプトノート

117. あいまいさに耐える。あいまいさを楽しむ。

『クリティカル進化(シンカー)論』という楽しい本の中で、「あいまいさに耐えられる」ことの重要性を説いているページがあります。

この言葉の重要性の割には割かれているページ数が少ないと感じたので、なぜ「あいまいさに耐える」態度が大事なのかを補足してみようと思い立ちました。

●判断を遅らせることが明らかに有利な場合

物事の性質にもよりますが、外部の状況に依存した選択をする場合には、判断のタイミングは遅いほうが有利なことが多いですね。株式の運用が典型的な例で、多少のプレミアムを払ってでも売買の決断を先延ばしにする権利がオプション商品として商品化されています。

これはある意味分かりやすい。確かに、決め打ちして安心せずに直前まで情報収集を続けるのは大変ですが、「あいまいさに耐える」というニュアンスとは少々違う気がします。

●続けるか止めるか、自分の意志次第の場合

「あいまいさに耐える」という言葉の重みをより感じるのは、
「諦めるまでは失敗ではない」という格言について考えるときでしょう。

諦めるまでは失敗ではないといっても、ただ目をつぶって
突き進めば自動的に成功するということではないはずです。

波に乗れれば成功するかもしれないが、
波が来ても乗れないかもしれない。

波は来ないかもしれないが、
波が来なくても成功できるかもしれない。

チャレンジャーを苦しめるこの曖昧さとどう付き合うか。
大きく2つの考え方、というか心得、がありそうです。

1つはそのあいまいさに耐えること。
もとより状況は常に変化するもの。
仮説を立て、方向を決め、進みながら仮説を疑う。
それが冒頭で紹介した、クリティカル・シンキングの一つの側面です。

もう1つはそのあいまいさを楽しむこと。
波を待ち、波に乗ろうともがいて失敗したり成功したりする、
そのプロセス自身を好きになる。

●花が咲いても咲かぬでも

幸いなことにこれら2つの心得は、どちらかを選ぶものではなくて
両方持つことができるはずです。

あいまいな状況に耐え、頑張ることが楽しい。
そういうチャレンジを見つけられた方は幸せだと思いますし、
どうせチャレンジをするならばそういう対象でなければ、とも思います。

ここまで書いて、もう一つ格言を思い出しました。

 営々黙々 花が咲いても咲かぬでも

本来の意味とは違うかもしれませんが…。

【おまけ】
この文章を書いている場所からは海がちょっと見えます。
本日は快晴微風。金曜なのにサーファーが数人、平らな海を漂っています。

今日なんかは海に出てもしょうがないのですが、とにかく海に出ています。

いい波に乗るのが目的だけれど、波がなくても楽しめる。

そういうスタイルを、楽しんでいるんでしょうね。

能天気なようにも見えますが、
そういうライフスタイルを貫くために彼(女)らが耐えている
「あいまいさ」というのもあるでしょうね。