ぬかるみに藁を敷く
ティク・ナット・ハン『ビーイング・ピース』という本に、こんな記述があります。
過去二千五百年の間に、仏教の寺院のなかで、「和解のための七つの実践」と呼ばれる方法が発達しました。このようなテクニックは、僧たちの集団での諍いを解決するために形成されたものですが、私たちの家庭、社会でも、役に立つのではないかと思います。
ここでいう諍いとは、二人の僧が対立し、当事者同士では和解できない状態を指します。お坊さんもやっぱり諍いを起こすし、しかも方法論が発達するほどに多いのかと、意外に思いつつも安心してしまいます。
その七つの実践を要約しましたので次に紹介します。
- 【対面して坐る】二人の僧は、対面して坐り、呼吸し、いかにむずかしくても、微笑をします。共同体の全員も、戦う気持ではなく、役立とうという気持で坐ります。
- 【思い出す】争いのいきさつの全体を、それと関わりのある細部のすべてにわたって、思い出そうとします。
- 【強情でない】二人のどちらもが、和解と理解のための気持をもって、全力をつくします。共同体はそれを期待していることを雰囲気で示します。
- 【ぬかるみに藁を敷く】尊敬を受けている先輩の僧が、一人ずつ選ばれてそれぞれの側に立ち、相手が良い感じを持つような言い方で、彼が代表する僧を庇護する言葉を述べます。
- 【自発的に告白する】二人の僧が、おのおの、みずからの欠点を明らかにします。共同体は、二人を励ます気持を持ってそれを聞きます。先輩僧は、共同体の幸せがもっとも重要であることを二人に想い起こさせます。
- 【全会一致によって決定する】この問題についての委員会が評決を提案します。委員会は三度にわたって共同体の全員に異議のないことを確認します。
- 【評決を受け入れる】評決がどのようなものであれ、二人の僧がそれに従うこと、さもなければ共同体から出てゆかなければならないことが、事前に合意されています。
和解のための七つの実践 – *ListFreak
【ぬかるみに藁を敷く】に強い印象を受けました。内容もさることながら、この項目だけ比喩になっていて、しかも実にイメージの湧きやすい比喩です。これが、たとえば【尊師が庇護の言葉を述べる】だったとしたら、それほど強い印象を受けなかったと思います。
諍いをぬかるみに喩える表現になじみを感じられるのは、「雨降って地固まる」ということわざが思い出されるせいもあるでしょう。
雨を生かして地を固める
そもそも「雨降って地固まる」のはなぜなのでしょうか。すこし無粋な気もしますが、そのプロセスを簡単に分解してみます。
- 対立が高じて本音をぶつけ合う(雨が降る)
- 時間をおくことで客観的に考えられるようになる
- すると、相手の言い分や自分の非が見えてくる
- 相手も自分と同じように感じていることに気づく
- 相手と自分についての理解がより深まる(地固まる)
【ぬかるみに藁を敷く】とは、先輩の僧が応援コメントを出すことです。上のプロセスでいえば3の中の「相手の言い分が見えてくる」という部分を促す行為といえましょう。相手の立場で者が見られるくらい客観的な視点を持てれば、今度はその目で「自分の非が見えてくる」ので【自発的に告白する】ことができるようになるのだと思います。
実際、七つの実践の中核は双方が【自発的に告白する】というステップにあると思います。ただし、とても難しい。だから先輩が「藁を敷く」。とても優しいアプローチです。
「雨降って地固まる」のほうも、「固まる」という自動詞に、時間による癒やしを待とうという優しさを感じます。先輩や親は、後輩や子供が苦しんでいるのを見ると、ついコンクリートを上から流し込まんばかりの勢いで解決を図りたくなってしまいます。しかしゆるんだ地盤の表面だけを固めても、永くは持ちません。