キャリアにおけるリスク受容のすすめ
コンサルタントであり『GE式ワークアウト』などの著作があるロン・アシュケナスが、Harvard Business Review誌のブログコーナーに『キャリアの決断においてリスクを受けいれる』(“Embracing Risk in Career Decisions – Ron Ashkenas – Harvard Business Review“) という文章を寄せています。
あえて逐語訳でなく印象訳で紹介します。
アシュケナスは、事業活動におけるリスクマネジメントの発想で個人のキャリアを考えるべきでない理由を2つ挙げています。
一つめは”happiness criteria”、つまり「幸福という基準」の存在を挙げています。個人のキャリアの成否は、報酬や地位など目に見える結果だけでは決まらない。むしろ仕事そのものから得られる喜びといった、まったく主観的な要素が、他のどの要素よりも重要になる。
二つめは”attitude factor”。これは「態度因子」とでも訳せばよいでしょうか。意味的には「変化をオープンに受けいれる心がまえ」という感じです。振り返ってどのように理由づけをしようとも、キャリアは結局のところ自分にはコントロールできない要素によって大きく左右される。ならば、思いもかけない出会いや機会に柔軟に適応する態度が持てるかどうかが重要である。
自分に長期的な幸福をもたらすものをはっきりさせ、それを第1の基準に置く(happiness criteria)と、これまで築いたキャリアからするとリスクを伴う選択を強いられるかもしれません。そのとき重要になってくるのが「態度」あるいは「心構え」(attitude factor)。新しい基準に忠実になることで起きるネガティブな出来事を受けいれる一方で、新しい基準にかなう出会いや機会を積極的に求めていく心構えです。リスクを最小化するのでも管理するのでもなく「最大化」することが必要になるかもしれません。しかしその心構えが新しいキャリアを切りひらいていくのです。
なぜ、組織はリスクを取れないのか
あえて本文を再読せずに書いた「印象訳」ですので、著者がほんとうに言いたかったこととは多少違うかもしれませんが、わたしはそのように受け取りました。何十通もの読者コメントも、おおむね好意的でした。批判的な意見としては、リスクマネジメントを矮小化しているのではないか(リスクマネジメントは単なるリスク最小化やリスク回避ではないよ)といったコメントがあったように記憶しています。
わたしも「ほぼ」共感します。目的→選択→試行→自得という『クリエイティブ・チョイス』で定義した四つの原則がさらに凝縮されているように感じました。
「ほぼ」と限定したのは、このように組織と個人とをはっきり分けるアプローチに違和感があるからです。わたしはひとりカンパニーを営んでいます。自社事業における選択がそのままキャリア上の選択になるので、事業性と個人的な意義をどうやって両立させるか、悩むことも少なくありません。したがって、こういったテーマについてはよく考えざるを得ません。
なぜ著者は、組織と個人を分けて考えるのでしょうか。なぜ組織では、「主観的な満足を基準に置くこと」や、そのために「甘んじてリスクを受けいれて適応していく態度」が重要と見なされないのでしょうか。
※「社長の個人的なハッピーを追求して失敗したら、社員や顧客など利害関係者に迷惑がかかるから」というのは、ここで考えているテーマとは違う話です。社長個人ではなく組織を主人公に見立てれば、著者のロジックは組織にも敷衍できるのではないかという話です。
「組織でやることは規模が大きいので、それだけ慎重になる必要があるから」かもしれません。一般的にはそうですが、個人で大きな事業を営んでいるケースもあれば、複数人でやってはいるが規模の小さな事業もあります。個人のキャリアと組織のビジネスの違いは規模の違いだけではないのは明らかでしょう。
「個人は失敗しても自分一人の責任ですむが、組織ではそうはいかない。社員や顧客や資本家に迷惑がかかるから」かもしれません。たしかに大きな組織の一員であれば、突然個人的な理由で会社を辞めても誰かがカバーしてくれるでしょう。しかししかしそれは、ひとりカンパニーのような法人=個人の立場からすると、です。わたしの失敗は個人の失敗ですが同時に会社の失敗でもあって、顧客や取引先や資本家に迷惑がかかるという点では、組織と変わりません。
旅人型組織と乗り物型組織
思考実験として、ある教義を信奉するカルト法人を考えてみます。この法人では組織の幸福が明確に定義されていて、しかもそれは構成員個人の幸福と完全に一致しています。個人にとって何がハッピーかは、時間と共に変わります。だれでもライフステージに応じて、あるいは経験に応じて、主観的な満足の対象は移り変わっているでしょう。しかしこの法人の構成員は、それぞれが人生の中で経験する幸福の移り変わりまでも共有しているとします。つまりこの法人は、どの個人を見ても法人全体として見ても同じ幸福の基準を持つ一個の人格を持ちます。そのような組織においては、著者のロジックが組織に通用しない理由を思いつけません。法人として個人と同じように自らの幸福を定義し、そのために最大限のリスクをとることに、誰が文句を付けられましょうか。
共通の理念で強く結束した組織ほど、組織の人格がはっきりするので、個人のように振る舞える。つまり大きなリスクを取れる。では逆はどうでしょうか。たとえば個人の幸福(主観的な満足度)がバラバラで、誰も組織の理念に共感もしていなければ、仕事に意義も感じていない。しかしそこに務めていると、毎月給料がきちんと支払われる。これは言うなれば「乗り物」的ではないでしょうか。たとえば同じ飛行機に乗り合わせた個人は、それぞれ最終的な行き先が違います。「○○便の乗客が(長期的な視点で)共有すべき幸福」というものはありません。それどころか、飛行機の意志で勝手に航路を曲げられては乗客にとっては迷惑です。乗客が乗り物に求めるのは安全第一、言い換えればリスク回避的な運行です。
そう考えてくると、組織の幸福と個々人の幸福が一致している度合いによって、組織がハッピー追求的になれるかリスク回避的にならざるを得ないかが決まってくると言えるのではないでしょうか。
リスク回避型の組織は「乗り物型組織」と呼ぶのがぴったり来そうなので、ハッピー追求型の組織は(幸福を追い求めて動くという意味で)「旅人型組織」と名づけましょう。片方はモノというかハコに、片方はヒトに例えてしまいましたが、日常会話でも自社をヒト的に例えることもあれば、ハコモノ的に例えることもあります。
みなさんの組織はいかがでしょうか。