カテゴリー
コンセプトノート

381. 葛藤を書きとめる

自制心の所在を探る

「自制心」のはたらきを担う脳の部位を探る、2009年の実験記事を読みました(1)。結果もさることながら、実験の方法に興味をひかれました。自制心をどうやって測るのでしょうか?

被験者は、健康によい食べものに留意している人たち。彼らはまず、さまざまな食べものを「おいしい−まずい」と「健康によい−悪い」という2つの軸で評価します。そして最後に、どれか一つの食べものを自由に選んで実際に食べることができます。自制心のある人は、ここでおいしさよりも健康を重視するはず。だから、そういう人たちの選択の瞬間における脳のはたらきを見れば、「自制心」に関係する脳の部位が分かる。というシナリオでした。

すぐに得られる快(おいしさ)と長期的な期待(健康)との葛藤において、後者を選択できるかどうかで自制心を測るというアプローチは、経済学の実験などでも見かけますね。出所を失念してしまったのですが、「意志」という言葉をまさに「短期的な満足よりも長期的な期待に基づいて行動できること」と定義した文章も見かけたことがあります。

この実験が用意した葛藤は、目的からすれば妥当でしょう。ただ長期的な期待を選択するほど自制心が高いとは単純には言えないケースもいろいろ考えられます。

たとえば被験者のAさんは、用意された食べものの中に、めったに食べないけれど大好きなXという食べものがあったので「いつもは健康によいYを選ぶけれど、今回はおいしさを優先してXを選ぼう」と考えてAを選んだ被験者がいたとします。Aさんは自制心が低いのでしょうか。

Aさんは「健康によい食べものならばおいしさはどうでもいい」という人ではありません(「おいしさか健康か」に葛藤を感じる人だからこそ、この実験の被験者になっているはずなので)。つまり大げさにいえば、人生の満足をただ「健康で暮らせること」だけでは測れないと考えている人です。その大目的から考えおろすならば、葛藤を経て敢えて「ときどき自制心をゆるめよう」という選択は、言ってみれば二次の自制心を働かせた結果といえるのではないでしょうか。

Bさんは、葛藤を感じた瞬間にそれを抑さえこむことに慣れていました。結果として健康によい食べものばかりを選ぶので自制心が高い群に入ります。Cさんは、いつも初心になって最善の選択を試みる人で、毎回おおいに呻吟します。その結果Bさんよりは健康によい食べものを選ぶ率が低くなっています。

この結果だけからは、Bさんの方が自制心が強いとはいえません。機械的な抑圧が難しい、複雑な検討が必要な状況(実生活での葛藤により近い状況)では、葛藤慣れしているCさんのほうが長期的な期待にもとづいた選択ができるかもしれないからです。

われわれの生活上の選択でも、自制心の発揮のされ方は短期/長期という軸では測るのが難しいケースがあります。たとえば、一般にはムダづかいという「楽な道」を我慢して、老後のために積み立てられることが自制心の証でしょう。しかしDさんは「いつ死んでも悔いのないように、つねにあと3年の余命と思って行動しよう」と考えています。Dさんにとっては、老後のために備えることこそ「楽な道」で、積極的に短期的な満足を追求するという選択をしつづけるために自制心が必要だと感じています。

葛藤を書きとめる

いろいろなケースを考え合わせると、自制心は「短期よりも長期の見通しに基づいて選択できる力」というよりも「感情よりも意志に基づいて選択できる力」という定義の方がしっくりくるように思います。もちろん感情の声を無視してという意味ではありません(たとえば「「それ」を感じた瞬間に書きとめておく」を参照)。

「感情」と「意志」とくれば「論理」を加えて「知情意」がそろいます。せっかく(?)葛藤したのであれば、これらの要素を意識して振り返っておくことで、次回の決断に活かせるものがありそうです。

  • 何と何の葛藤か?
  • どんな感情の声[情]、意志の声[意]を聞いたか?
  • それらを情報として組み入れたうえで、どう考え、どんな選択をしたか[知]?
  • 振り返って、その決断をどう評価するか?

振り返るタイミングによって決断の評価は変わっていくと思うので、最後の欄は複数あるべきでしょうね。最近参加したセッションで、新人時代への自分へのアドバイスを考える時間があったのですが、わたしを含めて参加者の多くが「なし」でした。このことについては稿をあらためて考えたいと思います。


(1) 信原 幸弘ほか 『脳神経科学リテラシー』(勁草書房、2010年)