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コンセプトノート

368. 気づきの鐘

「気づきの鐘」

前回『「今・ここ」にいられない症候群』というノートを書きました。

いま注意を向けているべき対象から、思考がさまよい出した。その瞬間にそれと気づけるならば、注意を引き戻せるでしょう。しかし思考がさまよい出したことに気づくことがそもそも難しい。

実践のヒントをいろいろな方面の書物に求めていくなかで、ヴィパッサナー瞑想を教えているラリー・ローゼンバーグの『呼吸による癒し』という本に出合いました。基本的には十分に時間を取って、望ましくはリトリートなどに参加して、瞑想の技術を磨くべしとしながらも、日常生活の中で「今・ここ」に立ち戻るきっかけをつかむ方法にも考察を向けています。その項で「気づきの鐘」という印象的な言葉を見つけました。

 一日の中には呼吸だけに専念できるような時間があります。たとえばエレベーターを待っている時間、お店で店員が伝票を書いている時間、映画の列に並んでいる時間など。たいていの人にとってそのような時間はいわば死んだ時間で、気が散っていて、現在の瞬間にとどまりにくくなっています。そのようなときにあなたがもし呼吸に注意を向けてみるなら、たとえ二、三回の呼吸であっても、心が静まり集中することができます。ある種のエネルギーと触れることができるようになり、その触れあいは気分を一新してくれることでしょう。

 ふだんならイライラしてしまうような瞬間を、このように利用することができます。テイク・ナット・ハンは僧院における「気づきの鐘」のように交通信号の「止まれ」を利用する方法について話しています。「気づきの鐘」というのは、仏教の修行道場などで、作業中、定期的に打ち鳴らされる鐘のことを言い、その音を聞いたら、何をしていても手を休めて三回呼吸をし、現在の瞬間に立ち戻るようにします。(太字は引用者による)

ラリー・ローゼンバーグ 『呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想

修行道場にいるお坊さんであっても、「今・ここ」に立ち戻るためには「定期的に打ち鳴らされる鐘」という外からのシグナルを使っている。ここにハッとしました。

タイマーで割り込みをかける

わたしにも、結果的に「気づきの鐘」の役割を果たしてくれているシグナルがあります。タイマーです。

もともと注意が散漫な方なので、長い時間仕事を続けるために短い休憩をこまめに差し込んでいました。12分〜50分くらいでいろいろ試し、最近は「15分ごとに1分のブレーク」が多いです。これは集中のためというよりは、つかれがたまってしまうことを防ぐという意味合いで採用しているリズムです。

  1. 椅子に深く座り、背もたれにもたれて組んだ両手を首と頭の境の位置(後頭部)に当てる。
  2. 首を後ろに倒し、30秒間そのままの姿勢を保つ。

デスク作業の疲れを取る2ステップ休憩*ListFreak

集中できる仕事(たとえば好きな仕事)をしていると、15分間はかなり短く感じます。しかし集中しづらい仕事(たとえば単調な仕事)のときには15分間が長く感じ、しかも5分間ぶんの成果しか挙がっていないように思えます。とくに後者の仕事においては、タイマーが大きな逸脱(たとえば、今やらなくてもいい楽しい仕事に移ってしまう)から防いでくれています。

1年、数年、そしてさらに長期での「気づきの鐘」

引用元の意味合いとは違ってしまうかもしれませんが、「気づきの鐘」つまり外からの刺激によって「今・ここ」に立ち戻るという発想は、もっと長いスパンでも使えるのではないでしょうか。

たとえばわたしにとっては「おつきあいのある方々に年始のごあいさつを出す」というイベントは、1年間に1回鳴らされる「気づきの鐘」といえます。

昨年の振り返りは過去のことで、今年の目標は未来のことだから、「今・ここ」にとどまるとは言えないのではないかと思われるかもしれません。ここで言いたいのは、何十年という事業のスパンの中で、この1年間「今・ここ」にとどまれたかどうかという観点で1年間を振り返ってみるということです。たとえば理念からはずれた事業に流れてしまったことに気づけるかもしれません。それは、お坊さんが「気づきの鐘」を聞いて呼吸に注意を向け直し「おっと、いま考えがさまよっていたな」と気づくのと本質的には同じだと思います。

お気に入りの本を何年かおきに読み返すという人がいます。その読書も「気づきの鐘」たりえるでしょう。旧友に会うこともそうです。旧友……そういえば彼はずっと音信不通だな……誰に聞けば近況が分かるかな……などと考えがさまよいだしたところで、タイマーが鳴りました。